なぜ感謝する事が必要なのか②

皆様、おはようございます。

星見です。

前回、本能はいけないのかについて問いを建てて終わりましたので、前回の続きです。

本能というものについては、中々取り扱いが難しいので、色々あるとは思いますが、恐らく本能を否定しているものは少ないのではないか?と思います。

宗教的にも、本能に溺れる事はいけないとされますが、本能自体を否定してる感じはありません。

本能を煩悩と捉えると108あり、あまり良くない印象を持たれると思います。

しかし、多くの人にとっては、本能的な生き方をした所で、なんら問題はないのでは?と思います。

生存に対する欲求が一番強いのであれば、そもそも変な事なんて出来ないからです。

犯罪者や迷惑系ユーチューバーのような生き方は、多数の人には無理です。

欲求に溺れるような人は、あとで痛い目に遭いますが、その強い本能は思考では太刀打ちできないので、どうやっても無理であると思っています。

例えば犯罪者がいて、なぜその人が犯罪を犯したなんて分かるはずはありません。

分かる人がいれば、その人も犯罪者予備軍です。

また、近ごろの世界のニュースや日本の人達を見ていると、自分達の生存に危機を感じている人が沢山いますね。生存を危機的にかんじるからこそ、排他的な性格になります。

これを差別的だというのは簡単ですが、いわゆる自分の生命と財産が危機的であると思っているわけです。

ここまで、色々書きましたが、ではどうすれば良いのか?ですが

小さい集団を沢山持つことが大切になります。

昔で言うと、家族、村、という集団があったのではないでしょうか。

高度経済成長期では、家族、会社となりました。

現代人は、これらの集団を作る事が難しいですね。家族的なコミュニティを維持できている人いますが、みんなコミュニティ維持よりも、自分がどうかの方が大切です。

よって大切なのは、自分が属する集団を2つ以上持つことが大切ですね。

たまに会って、ご飯を食べたり、お酒を飲んだり、話したり、BBQしたりというやつです。一緒に仕事をする仲間や、LIVEを見に行く仲間、釣りに行く仲間、などなどです。小さい集団を沢山持ちましょう。

それが出来ない人は、感謝行をすれば良いです。

それを持てる人が、感謝行をすればもっと良いです。

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