皆様、おはようございます。
星見です。
知り合いの経営者と話をしていた所、従業員に対して罰を与えるみたいな話をしてました。その時、「こいつは神にでもなったつもりか?」と思ってしまったので、でもなぜそんな風に思ったは、自分にも分からなかったのですが、あとから色々考えていると、これは非常に面白いテーマだとおもい、書きます。
世の中には、罰というものが存在しており、中には神罰や仏罰とよばれるものあるのですが、そもそもなぜ仏罰というものが存在しているのかについて色々思うところがあります。
そもそも、罰という概念はどこから来ているのかが難しいですね。
分からないものについて話をしてもしかたないので、取り合えず、罰というのは、支配する為に与えられたものであることは間違いなさそうです。
それ以外に罰なんて必要ありませんからね。
「こいつ神にでもなったつもりか」と思ってしまったので、神様と罰の関係も深いのでしょう。
神様は何となく怖いものであるという概念が人々には染みついている結果と思います。
どうして、神は怖いものであると言われても、昔からそういう風に捉えてきたくね?って感じですね。
ここは恐らく、人間は大きいものや畏怖するものにも、美しいと思ってしまう生き物であるからだと思います。
現に、戦争の道具である戦車などに憧れを持つ人もいますし、終末論とかが好きな人が多いですからね。ノストラダムスとか。そういうものに美しさを見出してしまうのが人間です。
要はスゲーって思う事が光悦なんですね。
なので、神みたいなスーパー上位概念は罰を与えて下さるものでないといけないのです。そちらの方が人間にとって都合がいいのでしょうね。
自然みたいな良くわからないものは、いつか人間に牙を向かなければいけないのです。
これらは、実際にそうであるかどうかが問題ではなく、そうであると思っていることが大事です。
ここは根深い問題です。
そして、自分の上位概念として当てはめてしまい、人間社会における支配構造をそこに当てはめてしまうからです。
あと、日本の神話などを見ていると、良い神様だけではないですよね。
でももし、悪い神様からの罰であった場合は、普通になめんなよって思ってしまいますが、悪い神様なのか良い神様なのか正直分かりません。
この分からないというのがキーポイントですね。
ただ分かっているのは、罰というのは人の恐怖という感情を利用して、操る方法であるという事は分かります。
罰が無い世の中を達成できるのかと言えば出来るでしょうね。その為には色々と条件が必要な気もしますが。
また、罰が無くなれば戦争が無くなるのかについては、それは違う話なので、混同されない方がいいです。
まぁ簡単にいうと、誰かに言うう事を聞かせる為には、罰が必要だし、アナタが罰をウケている時はいう事を聞かせようとしているという事です。