加害者と被害者

皆様、おはようございます。

星見です。

ここ最近なのですが、年を取った人には、宗教はありなのかなと、ふと思ったりします。

それは、年齢を重ねると、自分が加害者側であるかもしれないという意識がどんどん薄れていくからです。

まず一つに自己正当化があります。

長年やってきた自分の生き方というものを、どうしても人間は肯定してしまいます。そんなところに答えなんかあるはずも無いのにです。他人からの批判や指摘に対して、防衛的になったり、攻撃的になったりなどなど。全くメンタルの忙しい事。

続いて、肉体的にも精神的にも衰えてくることによる被害者意識もあります。

加害者側である以前に、自分は常に被害者であるという意識から抜け出せません。可哀そうですが、憐れみを持つと被害者意識が強くなるし、哀れだなと切り捨てると分断され益々孤独に向かって益々前進していきます。

他にも認知機能の低下というものも存在します。

恐らく認知機能が低下する事によって、人との共感能力が落ちていくのでしょう。

宗教はありかなと言っても、変な方向に行かれると、私も嫌な気持ちになる可能性があるので、あえて言うと、宗となる教えの事です。

日本人が、宗教という言い方で翻訳した事は大変面白いと思っていますが、こういった教え的なものが無いと、中々に上手くいかないのかなと思ったりします。

加害者意識とは基本的に罪の意識なので、私は大否定したい所ではあるのですが、逆の被害者意識が増大している事も大変な大問題であります。

年をとったらと言っても、この辺はかなり個人差がありますので、何ともいえませんが、少なくとも、自分の心を常日頃から掃除していないと、皆さんも知らず知らずのうちに、そうなってしまいます。

この文章を見て、なぜか心が反応してしまった人は、大いに気をつけましょう。

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