皆様、おはようございます。
星見です。
私たちが子供の頃習った参勤交代は、主に各大名の力を削ぐために、あえてお金のかかる参勤交代をさせてたとらなってましたが、現在では、沢山の見方がされているそう。
(京都府教育委員会)
この中で面白いのが、元々は、各大名が率先して行っていた事。始めは強制でななかったそうです。
また、これは今でいうインバウンドやん!って思いたくなります。
インバウンドというと、外国人観光客が訪日することなので、今の観光と全く当てはまるものではないのですが、街道の整備が進み、物資や人の往来が活発になる。宿場町も沢山増えて、庶民の旅も増える。江戸は政治拠点だけでなく結局情報や文化交流が活発に機能し、それが現在の観光資源にもつながっていると中々考え深いものですね。
むしろその時に整備された、神社仏閣やお城、庭園などの文化財は、これがなければどうなっていたんでしょうね。
もちろん、将軍が一番の権威であり、全国をコントロールする為にしていた事は間違いないけど、各藩の財政負担にさせることが主目的ではなく、財政負担は結果的にそうなっただけなそう。
これ何人かに聞いてみたけど、知ってる人も結構いましたね。
今でいう隣の県が違う国みたいな話もありますが、あれもどうなんですかね。豊臣秀吉のバテレン追放令の話で、日本人が奴隷として連れていかれるところを見た秀吉が激怒したみたいな話もあるじゃないですか。日本人という概念がそもそもあったんですかね。あれ美談ぽく話されますが、実際の所どうなんですかねぇ。昭和の建設会社の偉そうな社長が、俺通してないじゃんってキレただけなんじゃないですかね
歴史に詳しい人教えて下さい