皆様、おはようございます。
星見です。
今回は、失敗する人の特徴を易経の観点からお知らせします。
失敗する人の特徴① 驕り高ぶり野郎
簡単にいうと反省しないやつです。私は驕り高ぶってないとかではなくて、自分の行いを反省しないやつです。これは私はどう思っているなどは関係ありません。
易経においては、この驕り高ぶりという物をとても危険な状況であると説明しています。
つまりこれは、誰に師事しているも関係なく、神様に愛されている事も関係なく、あなたの業績や能力、地位も関係なく、ただ単に、自分を省みる事なく、反省しないやつはいつ必ずひどい目に合う事を言っています。
自己正当化ばかりしている奴はダメだと言っている訳でありますね。
先日も、どこどこの先生と呼ばれる人と話をしました。経歴もとても素晴らしい人ですが、易経の観点から言うと全然だめです。
こういう人は、必ずどこかで後悔することになると易経は言ってます。
つまり、こういう人が神様を信じ、信仰し敬っていたとしても、自分を省みることをしない人間である場合、この律は成立すると考えます。
実際には、こういった行為をされている方は、自分を省みる行為をしてるはずなので、大丈夫だと思いますが。
そしてこれには条件があります。
それは、そもそも健やか(すこやか)である事です。
これを健行といったりもしますが、健やかであるとはどういう意味なのかについて、少し話します。
もちろん漢字から健康の健の字なので、ある程度イメージしやすいですね。漢字有難し。
漢字的な意味合いで見ると、亻+建なわけですが、これは人が自立して立っている姿ですね。
そして建てるの漢字の中には、進むことや、方向、ルール的な意味合いのもの、構造的なものが含まれています。
色々とイメージを膨らませて下さい。これに人間がくっ付いている形になっています。
それが、人が自立して立っている姿というわけです。
ちょっと自己解釈すると、自立とはあるルールや習慣を元に自己で生活出来る事を言ってるようにも聞こえますね。
これを易経では、天で表します。天行健
→ 天(自然・宇宙)は健やかに運行している。
→ 「天地自然の運行は、常に力強く、滞りなく進み続ける」。
そして君子以自強不息
→君子(徳のある人間)は、それにならい、自らを強く保ち、休まず努力し続ける。
となるわけですね。
昔の人は、宇宙を神様の住む世界だと思っていたので、その規則正しく動く様を見て、そのように感じていたという、とてもロマン輝くエステールです。
つまり、宇宙、自然の原理を一つの指標として、君子とはいかにあるべきであるのかと諭したのが易経です。陰陽の二元論で体形づけられていますが、現在の量子力学の方が似ているのでは?なんて素人的には思ってしまいます。
では、現代において、この「健やか」とはどういう状態であるのかについて考えて行きましょう。
健:
- からだが丈夫である
- 力強い
- 安定している
- 活発である
つまり、「健やか」という言葉には
- 心身が整っている
- 無理なくエネルギーが流れている
- 人として安定して立っている
といった、非常に人間的で、根本的な「健康と安定」のイメージが条件であると考える事が出来ます。
どんな解釈でもいいですが、簡単に言うと、ちゃんと節度を持って、健康に気を使って、エネルギーが満ち満ちている状態であるというわけですね。
睡眠、食事、運動は大事であると考えてもいいわけであります。
でもこれ確かにそうで、自分の調子がそもそも悪い時に出した結論というのは、どこか悲哀に満ちた悲観的な結果になることが多いです。
反省をすることは当然として、しかし、その前に自分は健やかであるのか。
こういった事も考えていかなければいけません。
つまり、そもそも自分自身が健やかであり、自分自身を省みる作業が大事だよって言いたいわけですね。
そして、それを天の運行のように、習慣化してれば良し。吉にはならないかもしれないが、凶にはなりませんと伝えています。
少し話がそれますが、易経という物の中には、无咎という概念が度々登場します。
これは、吉でもなければ、凶でもありません。咎なし。つまり禍いは起こりませんよと言っています。
そしてこれが大事なわけです。諸行無常な世の中ですので、ずっと吉なんて事は、この世界の理からしておかしいわけで、無理なんですね。吉になれば凶にも落ちるし、凶になれば吉にもなります。
ラッキー、アンラッキーに左右されるわけでなく、地道に少しずつ積み上げていくことこそ大事という事ですね。