皆様、おはようございます。
星見です。
護国神社といえば、皆さんなじみの神社かと思われるのですが、コチラの神社は、現在広島城跡の裏門近くにあることは、多くの広島県民の日とはご存知だろうと思います。
元々この場所にあったのかといえば、そうではなく、元々は市民球場跡地にあったそうです。
それが原爆による消失後、現在の位置に再建されたそうです。
そして、その前には、戊辰戦争で戦没した広島藩士78柱を二葉の里水草霊社に祀ったそうで、コチラが一番最初の護国神社だったようです。
時系列をまとめますと
- 明治元年(1868年)に戊辰戦争で戦没した広島藩士78柱を二葉の里の水草霊社に祀る
- 昭和9年(1934年)に旧市民球場の西側に移転する
- 原爆で焼失する
- 昭和31年(1956年)に現在の広島城跡に再建される
となります。
色々歴史を調べると面白いですね。
さて今回の大鳥居ですが、こちらの鳥居は原爆に耐えたことで有名です。
被爆鳥居・狛犬を知る
昭和20(1945)年8月6日,広島に投下された原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島の街。神社もまた大きな被 […]
爆心地から200mほどの位置にあり、爆風を垂直に受けたためか、ほとんど無傷のまま倒壊を免れたので、現在でもその時の姿を保っています。
その後再建されるわけですが、そんな簡単に行ったわけでもなく、多くの人達の願いが込められた結果再建する事ができたわけです。
由緒 | 広島護國神社
広島護国神社の由緒について。
もし、今年正月に護国神社に行かれる方は、そういった歴史を感じながら参拝されると、また一味違った参拝ができるのではと思います。
いつも皆様の無事と幸せを祈っています。
ありがとうございます。
星見