尽くしすぎ 恋愛に必要な事②

皆様、おはようございます。

星見です。

前回に引き続き、恋愛に関してです。

次の問題は「尽くしすぎ」です。

これは、束縛よりも厄介です。なぜなら見えずらいし、善っぽいからです。

しかし尽くしすぎについての結論は、「相手の反応や愛情を得るために、自分の行動を使ってコントロールしようとすること」にあります。

尽くしすぎといえば聞こえはいいですが、ようはコントロールしようとしていることに違いはありません。

健全な優しさは、相手が喜ぶから、自分がやりたいからなど見返りは前提にありません。

つまり、問題を自己完結しているのですね。

なので、別れた相手の事をとやかく言わないし、別に恋愛中のあいての事を悪く言ったりしません。

逆に尽くしすぎというのは

これだけやれば愛されるはず、嫌われたくないからやる、見返りを期待している(無意識でも)というやつです。

これは、愛では無くて取引です。

そして、尽くすという行為は、もっとややこしく依存構造になりやすいです。

もっと欲しい、もっと欲しいです。

結果利用されたり、束縛につながるような自由の侵害ができます。

ではなぜそこまで尽くすのか。

それはやはり愛される自身がないからです。

愛を得るための行動になっているのです。

こういうと愛が欲しいという事が悪い事のようの感じますが、そんなことはありません。

それは寧ろ人間にとって自然な事です。

しかし、それを前提条件にいれていまうと、よくない事になります。

  • 愛してくれるなら一緒にいる
  • 大事にしてくれるなら尽くす
  • そうじゃないなら不安・怒り

相手の行動次第で自分が決まる。これは依存ですね。相手が基準の人生となっています。

という事は、前回の束縛と同じく、本来の問題に対しての解決方法を相手を使って、解決しようとしているに過ぎないわけです。

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