皆様、おはようございます。
星見です。
今回は整形についてです。
整形について話すまえに、まず「顔」について述べなければいけません。
それは顔が抱える永久なる問題です。
顔は、自分の他の臓器などとは違って、まず自分で観る事はできません。詳しくは何かを媒介にしないと見れないものです。
鏡やカメラ、人などなど。
自分自身で観る事は出来ないものです。直接私のこの視力1.5の目で、強烈な光に弱く、ドライアイになりやすい、この私という物を使っては直接観測不可能なものであるという事です。
この時点で、顔は自分だけの閉じた所有物であるという事には至りません。
つまり、私の勝手で整形することは構いませんが、理屈上はおかしいのです。
逆を言うと、私がどういう顔をしていようが私には関係なく、お前には関係あるという奇妙なものです。
ここで、この顔問題をchatGPTに過去の哲学者がどうしたのか、ざっくりまとめて貰いました。
顔は誰の物か ― 西洋と日本の対照整理
目次
Ⅰ.問いの立て方そのものが違う
| 観点 | 西洋哲学 | 日本哲学 |
|---|---|---|
| 基本構造 | 主体 → 表現 | 関係/場 → 現れ |
| 問いの形 | 「誰の物か?」 | 「どこに属するか?」 |
| 中心概念 | 私・他者・理性 | あいだ・場・間柄 |
Ⅱ.西洋哲学のまとめ
基本態度
顔は
- 主体が持つもの
- もしくは他者に向けて差し出すもの
→ 所有・権利・責任の問題になる
主要立場(要約)
| 哲学者 | 顔の位置づけ |
|---|---|
| プラトン | 本質ではない |
| デカルト | 私の道具(身体) |
| カント | 人格の象徴 |
| ヘーゲル | 承認の場 |
| ニーチェ | 仮面・演出 |
| メルロ=ポンティ | 生きられた私 |
| レヴィナス | 他者からの命令 |
一文で言うと
西洋哲学において顔は、
主体が所有するか、他者に向けて差し出す境界面である。
Ⅲ.日本哲学のまとめ
基本態度
顔は
- 個人が所有するものではなく
- 関係の中で成立するもの
→ 面目・恥・世間・場の問題になる
主要立場(要約)
| 思想家 | 顔の位置づけ |
|---|---|
| 和辻哲郎 | 間柄に属する |
| 西田幾多郎 | 現れの場所 |
| 禅(鈴木大拙) | 本来は無い |
| 九鬼周造 | 生の様式 |
| 中井正一 | メディア |
| 柄谷行人 | 交換様式の産物 |
一文で言うと
日本哲学において顔は、
誰かの所有物ではなく、関係の中で預けられる表層である。
Ⅳ.決定的な違い(核心)
| 点 | 西洋 | 日本 |
|---|---|---|
| 顔の帰属 | 主体 or 他者 | 関係・場 |
| 自己との関係 | 内面の表現 | 関係の結果 |
| 倫理 | 責任・権利 | 恥・面目・空気 |
| 崩れると | 自我の危機 | 関係の崩壊 |
Ⅴ.哲学的に一文で統合するなら
西洋では、顔は「誰のものか」が問われ、
日本では、顔は「どこに置かれているか」が問われる
だそうです。
中々面白いですね。
つまり、整形は自分がどうではなく、誰かになりたいという事なのかなと思います。