柳田國男 「先祖の話」

皆様、おはようございます。

星見です。

最近ちょっと実家で休養していた時期がありまして、昔の本棚にありました柳田國男の本を、少し読み返してみると中々に面白かったので紹介します。

先祖と聞くと、自分のルーツという発想になり、柳田先生によると盆などになると精霊の姿となって家に戻って来る、祀られる”みたま”としてのご先祖様もいるので、先祖というのは2通りあるそうです。

先に柳田先生がやろとしている事の説明なのですが、日本古来の文化を残したい人です。

とてもざっくりですが、まぁいいでしょう。

キリスト教や仏教が入る前の、日本古来の信仰に対してのアプローチだと思ってもらえればいいのではと思います。

もちろんこの本に登場する先祖の話は、「祀られる”みたま”としてのご先祖様」の方です。

この本を読んでいると、日本人が本来持っていた死生観や葬儀の方法、祖霊崇拝や先祖論に及んでいるのですが、どうやらこれが色々な宗教が入ってきた結果、見えずらくなっているそうです。

それはそうですね。

例えば、現代で江戸時代の時代劇を作ろうとしても、必ず海外的手法をとる必要があり、ありのままを作るというのはとても難しくなります。

カメラを使った映像表現は輸入しているので、そのフィルターを通さなくては現代から見ることはできません。映像に限らず、文学もその通りです。

日本は、極東の島国で色んな文化の到着地点的な場所なので、その時代に海外のカルチャーを自分流に作り直す事を繰り返しています。

なので、元々日本のやり方という事自体怪しいものではありますが、その元々を調べようとしたのだから骨のいる作業ですね。

死んだ者というと、西方浄土に行くという考え方もありますが、これも浄土宗の影響なんかが言われていますが、日本での死者はわりと身近にいたそうです。自分の家の山なんかにいることもざらで、盆や正月に帰ってくるという考え方もあったみたいですね。

鎮守の森に太古から留まっていて、年月を経て徐々に一つに融合していった先祖たちの霊が「みたま」となり、それが「氏神」として氏神神社で祀られる。お正月に氏神様や産土様を祀った神社にお参りに行くのは祖先祭のだったとの主張です。

現代と違って、偉い神様に挨拶をしにいくのでなかったみたいです。

また、日本の古い死生観において、遺体が埋められている場所=先祖が眠っている場所ではないそうです。

両墓制と呼び、日本人の墓所というものは、埋葬の地とは異なるのが普通であったそうです。

拝む場所と、埋葬の場所が違っているわけですね。

平和記念公園みたいなものでしょうか。

こういった考え方によって、死はより身近にあり、年に数回は亡くなった人達と出会えるわけです。

どこで死のうが、故郷の地で一族と共にあるという考えです。

以前に、エマニュエル・トッド氏の回にもお話しましたが、こういったコミュニティはもうほとんどありません。

靖国で会おうという言葉がすんなり受け入れられた経緯もこんなところにあるのかもしれませんね。

まぁこういった話が迷信でしょという事もあるのですが、

事実、私は、子供の時からおばあちゃんに、裏の山でトイレをしてはいけない、どうしてもトイレをしたくなったら、「山の神様、ご先祖様、すみません。トイレをおかりします」といってしろと言われてきましたし、実家の墓は裏の山ですが遺骨は京都のお寺にあり、両墓制を採用してました。(最近知りました)

そして、空海さんの信仰と浄土真宗が混じったよう感じで信仰してますし、正月には、全ての水が出るところと、裏山と土地にお供え物をするので、本当の様にも感じます。

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