正しさの危うさ

皆様、おはようございます。

星見です。

年末に向けて、ハッピーな感じが続いてますが、私はその逆をいくような事ばかり書こうと思います。

SNSを見ていると、男女の関係でこのように言ってる人達を見ました。

男女のケンカが起こる原因として、男性は全体的にみて整合性を考えたり、将来を見通して考えたりするのに対して、女性はその時の感情によって話をするので、話が合わないそうです。

私からすると、ヤバいと思うような内容ですが、そういった話になるくらいそのおかしさが分からないような状況なんだなと、俯瞰しています。

今までも正しさは危ないというのは、言い続けてきたのですが、皆様におかれましてはどうでしょうか。

ここまで、世界が混沌としていて、皆が自分達の正しさを言い合っている世の中で、平和の実現がどんどん遠のいている状況においても、正しさが正義であると思えるでしょうか。

もっと簡単に言えば、だれも自分達が間違っていると思って戦争する人などいない。

という事です。

逆を言えば、我々からみると悪でも、本人たちは正義のための戦争だと思っているということです。

もちろん正しさが大事ではないわけではありません。全てはバランスであります。

しかし、この自分の正しさに固執する世間を見ると、非常に生きづらい世の中になったなと思います。

○○的に正しいばかり言ってる人達をみて思い出すのが、赤毛のアンですね。

かなりキリスト教的な保守的な村に孤児院から引き取られた、アンシャーリーの物語ですが、今の我々の世界は、その敬虔なキリスト教的な正しさを、他に置き換えている様に思えてなりません。

僕と同時期に生きてた人や、上の世代の人は、世界名作劇場やその再放送などを見て知ってる人もいると思いますが、今の人はどうなんですかね。

この正しいさというものから人間は逃れられないのかもしれません。

明日も正しさのヤバさについて話します。

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