正しさの危うさ②

皆様、おはようございます。

星見です。

前回に引き続き、正しさの危うさについて話します。

例えば、皆さま、嘘をついてはいけないというのが、人類の恐らく昔から共通する、普遍的な真理であるという事は、納得していただけるでしょうか。

つまり、どんなに昔でも、現代でも、そして恐らく未来永劫、嘘をつくという事は、悪い事であるという認識はあると思います。

それはそうです。

そもそも、嘘がまかり通れば、この資本主義なんてそもそも成立しないし、神が嘘をつく存在であれば、だれも信じないでしょう。

嘘ばかりつく友人は信用を失うし、そんなのケースバイケースだと言っても、基本的に嘘はいけない事だという事にしないと社会は成立しません。

納期いつまでの契約が、風邪をひいたから延期していては成り立たないのです。

ここに一つの思考実験があります。

登場人物は、A:殺人鬼、B:あなた、C:あなたの友人です。

殺人鬼が友人を探しています。そして、あなたの友人が、あなたの家に逃げ込んできました。

そして、殺人鬼があなたの家を訪ねてきました。「C知らない?」

あなたは、何て答えますか?

今自分の家にCがいる事を告げるでしょうか。告げるとCは死ぬでしょう。

でも告げないという事は、嘘をつくことになります。

しかし、嘘をつくことは、人間的な普遍的な正しさとして間違っています。

さぁどうでしょう。

ここで、何が正しいという気はありません。実際に、我々が住んでいる社会においては、嘘をついてはいけないという方向で進んでいます。

現に、契約の世界やビジネスの世界においては、どんな理由があっても嘘はまかり通りません。

いやいや、そんなバカなと思われるかもしれませんが、実際の現在の世の中はそうです。

凄く大雑把にいえば、芸能人の不倫問題も、不倫の過程や内容より、不倫という正しくない行為でアウトです。

これは何を言ってるかというと、人間は大人にならないとダメだという世界です。

個性を尊重しろとか、人権を尊重する世の中である以前に、子供のままではダメですよという、ルールや規則が頂点の世の中であるという事です。

それに従えない人はダメです。という基本的な世の中です。

それが、出来ないと貧乏だし、金をもっても騙され、子供の様にお金を使いなくなります。

そして、その大人として弱者を救済する事、個人や人権を尊重しようという世の中であります。

少し飛躍してますが、まぁそんな感じ、しかしそこに歪が出てきているのが今の状況です。

それは、確かに殺人犯に友達がここにいる事を話す方が嘘はないかもしれないし、正しいかもしれないが、そんな事では社会は維持できないからです。

誰も信用なんて出来なくなります。人はどんどん孤独になり、隣に住んでいる人を潜在的に犯罪者だと思うようになるのです。

それは、皆が大人になれないからです。

私自身子供っぽいので、よくわかります。大人なんかになれません。

そもそも、皆が大人になった世界というので、新しい事なんて起こりません。チャレンジは子供の特権ですね。

ちなみに、オウムの事件という悲惨な事件が、昔ありましたが、あれも我々からすると完全にアウトですが、彼らなりの正義ですし、あれを正当化するロジックなんてものもちゃんとあります。

つまり、正しさが起こした事故事件という事です。

正しさが悪いのではありません。全てバランスの問題です。

正しさを押し通した結果、家族バラバラ、子供と疎遠など社会とは別に、我々の日常においてその正しさをどこまで求めるのかというのは非常に難しい問題です。

そして、実はその正しさ正義を推し進めると、人間は何もできなくなります。

人間など、地球に存在しない方がマシという結論も、その一つであります。

ほらカルトの出来上がりです。

全てはバランスです。

バランスがおかしい私に言われてもという気もしますし、当たり前の話ですが、バランスを大事にしましょう

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