田植え

皆様、おはようございます。

星見です。

近頃は、米の値段が高くて仕方ないですね。まぁ米農家は殆ど死んでるんで許してあげて下さい。

最近だと、農業経営者なるものが、大規模で米作りをしてたりする傾向などが見受けられますね。この間ニュースでみました。こんなものは、農地解放の失敗を認めるようなものなのですが、それが新しい農業とニュースでもてはやされる時代が来たのかと思うと、みんなが過去を忘却しているなと思う次第であります。

まぁ、どうせそんな事を言っても、あれはGHQが無理やりと言ってくる輩が出てくるのは目に見えていますが、そういう輩は基本的に農業などしたこともないやつなので、聞く耳など持つ必要はないのですが、そういう人達が圧倒的である世の中なので、如何したものかなとかも思ったります。

さらに昔をさかのぼれば、日本人の中でも一般の人が米を食べれるようになったのは結構最近と言われていますし、特に白米のせいで、脚気が増えた時期もあります。よく、神道的な観点から米を語る人はいますが、どちらかと言えば、日本人にとっての米はいわゆる権力の象徴であるわけで、今でいうお金みたいな存在に近いと思いますが、昔から全然食べていないのであれば、我々の体の遺伝子的に米が本当に体に合っているものなのかは不明な事も多いと思いますね。まぁ弥生時代は米が主食として中心だったという説もあるのでなんともですが、今みたいな真っ白な米ということはないはずです。

これでわかる通り、お米に関してはいわゆる信仰の対象になっていて、あまり言うと怒る人もいるのではと思いますが、少なくとも私は作っているので、これくらいは許して下さい。

それでもやはり昔は兼業農家をされている家庭なんかも多かったみたいですね。日本はモノづくりの国なんて言われ方もしましたが、それは今より生産者が多い状況でしたので可能だったのではと疑いたくなったりします。

水の源流などに行ってみますと、チョロチョロで湧き出てくる水が、最終的には川となり流通していくわけですが、その源流を枯らしながら、支流を増やすのであれば、当然米不足でしょなんて思ったりします。

米作りは日本の帝王学です。と昔お坊さんに言われたことがありますが、この説も未だ言ってる人を見かけないので、受けれられていないのかもしれません。

お坊さん曰く、米作りは、田んぼの管理、山の管理、水の管理などなど1年間を通してやることが沢山あり、そのどれか一つでも欠ければ米を作ることはできませんとのことです。恐らくは、昨今はスペシャリストが重宝される時代ですが、優秀なジェネラリストを作る教育として、子供に農業をさせろと言っていたのだと思います。彼曰く、それは会社でいう大局観ある社長を育てることにもつながるそうです。それが、過去の偉大な経営者であり、最近ではそんな経営者はいないと言ってました。

まぁなんとも嘘くさい話ではありますが、一理あるようにも思えます。

田植えの良いところは、日頃の喧噪から離れて、泥にまみれ、水の音を聞き、風を感じ、色々な生き物を見て、時間の流れの緩やかさと、多くの四季などの情報を体で感じ、普段の思考から解放できるところだと思います。普段の生活では、意外と五感って使ってないなと感じますね。

まぁどうせ毎日農業すれば、それはそれでしんどいはずです。

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