真に自由になろうぜ③

皆様、おはようございます。

星見です。

シリーズも3回目を迎えました。

前回は、どうやって自分の素の状態を知るのかという事で終わりましたが、まだそこにたどり着けないので、色んな角度から自由を見ていきたいと思います。あくまで真に自由がいいです。

どんな職業につくのも自由。誰と結婚するのも自由。何を食べるのも自由。どこに住むのも自由。であります。

人間には選択の自由というものを長い歴史の中で勝ち取る事に成功しました。本当に良いことですね。

しかし、それが本当に真に自由となっていますか?

今日の夜ご飯は、何にしようかな~。お昼にとんかつを食べたから、夜は軽いものがいいな。

これは自由でしょうか。

分かりずらいですかね。そんな事どうでもいいですよね。

では、好きな人と結婚する。これは自由でしょうか。

まず、好きな人とは何か。今まで恋愛で失敗した事もあるでしょう、ドラマや漫画であこがれた相手なんかもいるでしょう。好きな人とは経験によって定義できるもの?もしそうであれば、本当に好きな人とは一生をかけても出会えないですね。

真の愛はいったいどこにあるのでしょう?まぁ今回はその話ではありません。

結婚とかどうですか?友達が先に結婚して、、、友達の旦那は良くて、、、旦那の稼ぎが、、、こんな結婚生活なのか、、、

どうねすかね。もう少し続けます。

職業とかどうですか?だれだれに影響され、カッコいいと思い、周りが将来を見据えてるのに焦って、親が言ったからなどなど。

良いとか悪いとかの話なんてしてませんよ。

どうですかね。真に自由と呼べますか?

どこに住むのも自由です。

もういやだ。沖縄に住みたい!田舎は嫌だね!都会だ都会。あそこに住みたい、海が見える場所へ。今住んでいる所が嫌だから云云かんぬん。

これは自由ですか?

ちなみに、真に自由と呼べるものを言語化する能力が私には無い為に、シリーズ化してます。以後お見知りおきを。

別にいいじゃんって思ってる人も、逆にこうは考えれませんか。

過去に縛られ、人間関係に縛られ、思考に縛られてないかと。

自分が自由だと思っているが、実は何かしらの支配下にあるのでは?と。その中で、自分に都合がいい様に解釈してるだけでは?と。

世の中そんなものだと、年配者の激励が聞こえてきます。

でも本当にそうですか?

自由と責任はセットである!自分が選んだものには責任が生じる云云かんぬん。本当にそうですか?そうでないと納得がいかないだけでは?そもそも自由という事が好き勝手であるという前提がありませんか?あなたのあるべき姿以外はダメなのですか?と反応してしまいそうです。

私が、答えを言語化できないので、まどろっこしいですが、こういう話しかできないのでごめんなさい。

ただ、今の世の中を鑑みると、そんな事を真面目に考えなくても良いかなと思います。そこまで真剣に考える必要は全くない。実は自由と呼ばれているものも、所詮は過去から積み上げてきた自由であるという認識です。

真に自由とは、過去から、言葉から、人間関係から、思考、前提からいかに解放できるかという事が見えてきましたね。

まどろっこしいですが、人間関係からの自由なら、付き合う付き合わないという話になってしまうし、言葉なら話さなければいいのでは、と極端な結論になってしまいます。いわばそれ自体が、自分の経験則に作用されているので、真に自由ではないですね。

でも思いませんか、真に自由が本当にいいものなのか。まぁ少なからず、私は良いと思っているので話は続けます。

ちなみに、今回も自分の素を知る方法にはたどりつけませんでしたね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次