皆様、おはようございます。
星見です。
祀る神と祀られる神と聞いて、勘の良い人や勉強している人は、天皇制の話かな?って思うかもしれませんが、その通りです。
和辻哲郎の話です。
八紘一宇というモデルがあります。この言葉は特定の人達が聞いたら、とても怒る言葉ですね。
これはスローガンみたいなもので、戦時中によく使われていました。
全世界を一つの家のようにまとめる。日本型の共同体を世界に広げるぞというやつです。
八紘一宇は日本のいたるところに石碑とかあるので、知ってる人も多いのではないかと思いますが、なぜそのような思想に至ったのかという原点的な話に、祀る神と祀られる神という話があります。
日本の宗教構造は、一神教のそれとは明らかに違います。
なんてったって八百万ですからね。
一神教のそれらは、基本的に絶対神です。
絶対神とは、唯一無二です。他の神々は存在せず、この神だけが神なので、基本的に他の神々への崇拝は禁止されます。
そこで、そういった神々に対して我ら神道的な神様をどのような位置づけにするのかは非常に重要な課題でした。
なんてったって、歴史が長すぎるし、教義もなければ、なにもありません。色んな所に色んな神様いるし、風習や習慣も全く別々といってもいいでしょう。それ自体悪いわけではもちろんありませんが、人に説明したり納得させたりするためには何かしら必要です。
そこで、天照大神を数多の神々のネットワーク的秩序の中心として読み解きます。
つまり、天照は祀られる側の“中心”ではあるが、祀る主体ではない。
神々は、固定されたヒエラルキーではなく、相互関係を構築する存在としてあり、これは一神教の他を超越する存在とは全く違います。
分かりやすく言うと天皇です。天皇は神であり祀られる対象であると同時に、神々を祀る行為者であるのです。そしてそれは象徴として作用しています。
日本神話的にみても分かる通り、基本的に神々には役割があります。●●の神様みたいな感じです。
Aという神をBという神が祀る。
Bという神をCが祀る。
Cは共同体を維持する。
この思想がいかに強力で、崇高であるのか。
いかに他国の絶対神であっても、取り入れることが出来るという事です。この辺が天照が神としていかに崇高であるかを表しています。
その唯一絶対神を神道的に祀ることが出来る事を意味しています。
よって、そのCがもつ共同体(歴史的民族・国体)が個人より大事であるという理解になります。田舎から都会から出てきた人は、非常に分かりやすいと思います。
無論、これらの思想は、後の軍国主義になる過程で利用されたわけであります。
歴史的にみると、戦後この村社会的な共同体は壊滅し、高度経済成長期には会社がその役割を果たしました。
しかしそれも90年代~00年代に壊され、現在この国における共同体はかなり壊されています。
別にいいじゃんと思いそうですが、こんな状況なのは私が知る限り日本だけです。
政教分離とよく言われますが、世界の政治を少しでも覗いてみると、宗教はバチバチに関与しています。トランプさんのアメリカを見ているとよくわかります。それは宗教自体が共同体であるからです。
海外のデモとか集会とか見てみると、教会の前とか、何かしら共同体シンボルがある場所が利用されます。
よくわからん公園とか駅前とかでやってるのは日本だけです。
よって個人が空中分解している状態なんですよね。
まぁ少し脱線しそうなので、まとめますと、これは如何に天皇が大切であるかも表しています。
それは、天皇がいなければ他国の神々と思想的に繋がる事が出来ないからです。思想的に世界平和の実現をするためには必要であり、その存在がいなければ、日本国はすでに日本国ではないという結論に帰結します。
ちょっと言い過ぎな感じもありますが、それは、僕らがいかに宗教的な共同体や理解が追い付いていない事を表しています。
この理論はかなり凄いですよね。
例えば、絶対神でもいいし、お金の神様でもなんでもいいのですが、その方々に一生懸命祈ってもお布施もしても?ですよ。どれだけネットフリックスを愛していていて、ネットフリックスを見ていたとしても、ネットフリックスの社長が一視聴者に何かすることはありません。
しかし、他の会社の社長の話なら聞いてくれますよ。アマゾンの社長の話なら聞くでしょう。
我々神道の神は、その役割をしているのです。祀る神でありながら、相手を祀る事もできるのだから。
ちなみに、こういう話をすれば、ほとんどの人が先祖に対してや自分の生家にたいして、何もしていない大丈夫か?と思われるかたもいると思います。
ちなみに、おそらく日本仏教的には、先祖がそれに当たります。ただこれも、わたしてきには逆に神道の影響をとても受けている様に思えます。
出来ればやれば良いし、出来なければ仕方ないです。
個人的には、出来る範囲でやれることをやるでいいのではと思っています。
また今の時代、別の形の共同体の作り方なんてあると思います。
その方向性は私自身模索中でありますが、今の時代にあったやり方で、宗教的なシステムを使う事なくどうすれば良いのかは、とても難しいですね