皆様、おはようございます。
星見です。
神の定義とは、一体なんなのかは、とても難しい問題です。
神という言葉には、実体の存在しないただの言葉=記号であるので、神という神は存在しないということになります。
よって、神という言葉自体の成り立ちに着目したいと思います。
「神」という漢字は、殷(商)王朝時代(紀元前1300〜1046年ごろ)の3,000年以上前に中国で作られたそうです。
「神」という字の構成は、「示」+「申」という字の組み合わせとなっており、それぞれについては、
「示」:生贄を供える台。神聖な物、祭祀を表す。
「申」:カミナリ、稲妻
という説が一般的です。
これは、天から下りてくる、力を持っているものの象徴として「神」であることが分かります。
また、白川静という人は、「示」は、当時の中国では先祖の事を表していた。なんて言っています。現実にもおそらくそうです。
ここで面白いのが、日本にも神という文字が伝わってきているのですが、現在の日本人にとって神と先祖は繋がっていません。
しかし、これは嘘であり、元々、日本でも先祖が神になる信仰はありました。柳田邦男なんか読んでもらえれば分かります。
日本古来の信仰では、先祖(祖霊)は神になるのです。つまり、これは「氏神」や「祖霊神」と呼ばれるものであります。
少なくとも明治以前の日本人にとって、「祖先崇拝」と「神道の神信仰」はほぼ同じもの?少なくとも厳密な区別はそこまで無かったのかのではないか?と推測できます。
現に、今でも氏神さまも神社ですからね。
では、どうして、先祖たちの霊と神が切り離されてしまったのか。
一つは、明治政府が天皇を中心とする「国家神道」を作ったからで、天照大神などの代表的な神話の神々を神とし、国の柱にすることで、祖霊信仰などは、「民間信仰」として切り離されていった経緯などが考えられます。
つまり氏神様などは、私たちの先祖というイメージはなく、地域の元からの神様くらいの意味合いしか思っていない人も多いのではないでしょうか。
こう考えると、地域の神社なのどにいくと、氏神様と荒神様、そして天照大神という構造を見る事があるのですが、なるほどそういうことかと思えてきます。しかし、これは少し捻くった見方で、多分天皇自体が、日本の建国神話の中で、国を平安に治める事を目的としているので、問題はなさそうです。
結果的に、神=高位存在、先祖=あくまで家庭的なもの、という枠が出来たのだと思います。これは今現在の皆さんの感覚と一緒ですね。
また、江戸時代から始まったとされる、仏教の檀家制度により、先祖供養はお寺の物となりました。
これは、個人的な家としての墓であり、地域の氏神様との分断を感じます。
こういった分断も、先祖=神というものがどんどん無くなっていく契機となったことは否定できません。
また、戦後の政教分離により、神道の影響は更に弱まります。
ちなみに現在でも、先祖を神と見なす場所はあります。
沖縄やアイヌでは、先祖が明らかに神と重なります。
また、神道的な葬儀では、死者は御霊(みたま)として祀られます。
私は、昔から、第二次世界大戦で無くられた人達の手記などをよく見るのですが、彼らの中で、必ずと言っていいほど、自分の先祖代々守ってきた土地を守るために戦った人がいます。
でも、それはそのはずで、そこには神様がいたからなのですね。
また、風水の世界では、お墓はとても重要視されます。家の風水並みに大事。。いやそれ以上かもしれません。
つまり、先祖というのはかなり大事。というわけです。
ここで、柳田邦男の祖霊について説明しますと。
死者 → 荒みたま(荒魂)
供養・供犠 →和魂(浄化された霊)
約30年(世代循環)経て →祖霊(集合された先祖霊体)
氏族や地域の信仰によって →氏神(祖霊神)
となるわけですが、この祖霊神は国家や身分に構造化された主従関係ではなく、水平的な「共同体」としての原型ともみられるわけです。
霊は平等であり、交流があり、融合される。そこには、何か原因と結果による神からの報酬や天罰などではなく、愛情による信頼関係しかないと、人間である私は思っていまします。
そして、名前も知らない昔からの先祖たちが紡いできたDNAが、現在いる私たちの中にあります。
また、自分の身体は、先祖だけでなく、宇宙創成より紡いできた星々のかけらであります。
すべてが自分の身体にあると言えば、明らかに言い過ぎですが、全てに関係するもの縁があると捉えれば面白いと思います。
神様は、別の所にいるわけでも、目の前の像にいるわけでもなく、天にいるわけでもなく、常に自分の中にいるという事でどうでしょうか。
そして、それが感覚的に感じ始めると、真の自由への扉が開かれます。これは、真に自由にあろうぜシリーズで散々語ってきたかと思うので、今回は省きます。
いつも言ってる様に、大事なのは思考の方ではなく、体の方にあるという訳ですね。
お爺さんお婆さん、お母さんお父さん、のあの感覚を思い出すことが、一番の先祖供養になり、神へとつながるものなのかもしれません。
しかし、それを知らない人もいる場合はどうすればいいのか分かりませんね。
でも皆さん、安心してください。自分だけでなく、周りを見渡してください。自分以外も自分と同じ状況なのです。
はい。八百万の神ですね。