皆様、おはようございます。
星見です。
占いを前に、皆さんはどう生きてるでしょうか。
中々抽象的な言い方なので、難しいですが。
占いはやればやるほど曖昧で、よくわからない部分と、ハッキリした輪郭みたいなくっきりした部分があります。
まさに人間の体を表しているようなものです。
今回は、神様についてお話をしたいと思うのですが、神とは何かの前に、皆さんに少しお聞きしたいと思います。
皆さんは、神様をどのように捉えていらっしゃいますでしょうか。
神様とはいったい何かというのは、占い師の範疇を超えている内容ではありますが、私なりの答えという物をお伝えしようと思います。
言葉で伝えるほど馬鹿らしいものはありませんけどね。
私も皆さんも含め、現実、今を生きている訳でありますが、どこまで正確に現実を把握できるでしょうか。
例えば、神様はいるとかいないとか、そういう話というのは世間では尽きないのですが、ではそのいるいない、についてどこまで正確に人間が把握できるのかという問題にぶち当たりますね。
人間のスペック的な問題です。最新のゲームを昔の、電池を入れるタイプの白黒のゲームボーイでは起動すらできなでしょう。
私の目の前に、今ペットボトルがありますが、ここにペットボトルはありますでしょうか。
何を言ってるんだという事を承知で申しておりますが、ここに確かに物はあるのですが、ペットボトルという名前は勝手に私がそう言ってるだけで、事実を皆さんが見たら、いやいや、それは電話の子機ですよというかもしれません。
私はこれをペットボトルと言ってますが、海外の人からしたら、それはプラスティックなんたらかもしれないし、100年前の人から見たら、最近のガラスというかもしれません。
そもそも、この用途を知っているから、そう判断しているだけで、人によっては花瓶に見えるかもしれないし、花に水を上げるヤツに見えるかもしれないですね。
どうですか、どんどんペットボトルかどうか怪しくなってきましたね。
あるが無い。無いがあります。
おそらくこれが、私たちの限界です。
ペットボトルがあると言っても、裏から眺める事は出来ないし、中から見た視点を持っているわけでもなく、分子構造が見えているわけでもありません。
単に、自分の経験則で、これはペットボトルだと思っているだけです。
逆に、神様が見えると言ってる人も、それは悪魔かもしれないし、精霊の声が聞こえる人も、ただの心のお友達なのかもしれません。
そうですね。
私たちの観測的には、そんなものは存在してないものでも、各個人にとっては存在しているものもあります。
仕方ないよね。見えたんだから。
むしろ問題は、人間の認知の方であります。
これを神だと思ってしまった、これを●●だと思ってしまうのは人間の認知の方です。
そして、その認知をした世界というのが、自分が生きている世の中という事になります。しかし、自分が認知していない世の中というのも当然あるわけで、むしろこちらの方が世界は圧倒的に広いですね。
箱の中に、いるとして、箱の隅の一点ばかり見ながら過ごしているが、その隅以外にも7点隅はある感じです。
その1点ばかり見ていても、箱の事は見ているわけです。しかし箱8点を全て一度に認知する事はできません。
神には一生近づくことが出来ないのと、これを神だと決めて拝む行為は、同一という事です。
神というある側面を知っていたからと言って、全て神を把握する事はできません。
目の前にいる人と話している時ですら、その人の心は見えてないし、頭頂部や背面も見えていません。しかし目の前の人を人間だと、友達だと認知してしまう。という事です。
その顔面を見て、それを友人だと判断しても、彼全体を判断しているわけですね。全てが見えているわけではないのに。
神という全てを把握する事は、人間では出来ませんが、神の一部は認知しているということです。箱と一緒です。
さらに解釈を拡大すると、神はいないと神がいるも共存します。つまり、神がいないというのも神の一部であるということです。
神が無いという一部を見ているに過ぎないからです。
後ろ向きの人間を10人そろえて、この中に田中さんはいますか?と聞いているにすぎません。
また、神は場であるや、規律やルールであるなどと言って得るのではありません。全知全能であるという事も言っているのではなく、全てが神の子供であると言ってるのでもありません。
それは、全て一部であり、それをどう認知するのかは自由で、個人の問題であるという解釈です。
では、神というのは世界そのものである。と限定してしまった瞬間に、神の一部だけを見る事になるというジレンマを抱えてしまいますね。
まぁ、この曖昧さが私が日本人だなぁと感じたりします。
これを、言葉で話すのは非常にナンセンスですね。感覚の話ですからね。
私は、そうやってとてもぼんやりとしたものと、ハッキリとした輪郭みたいな感じで捉えています。
そこで、占いを前にという本題に戻ります
占いの役割というのは、先ほどの箱の隅の1点からみた情報を伝えるという事です。
イメージとしては、会社経営に困ってるとして、財務という点、コンサルという点、占いという点みたいな感じです。
どれも正しく、どれも間違っています。正確には、どれも正しいがどれも全体を捉えきれていないという意味です。
恋愛に困ってる人がいたとしても、いくら恋愛マスター的な人のアドバイスを受け入れられないのと同じです。
しかし、何かに悩んでいる人というのは、箱の隅の一点を重箱の隅をつつく感じで囚われています。
よって、占いというものは、違う視点を与えるものと思ってもらえればいいです。
もちろん、占いという視点が必要ない人もいますが、その人は自分のみたい視点だけを見ようとしている人である。以上でそれだけです。
今回は何の話をしているかわかりませんけど。そんな感じです。