罪悪感と感動、感謝行まで

皆様、おはようございます。

星見です。

この前、旧友から、自分は毎日感謝を欠かさずに生きる事にするという宣言を受けて、その理由を尋ねると、そちらの人生の方が良いからという回答があり、色んな道筋からその結論に至るものだなと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

毎日感謝をして生きるというのは、多くの人が言っているので、特段話す事はないのですが、どうしてそれが幸福につながるのかについて、私の思う事があります。

以前、罪悪感と感動という話をしましたが、感動の起こる原因が罪悪感にあるという話の続きです。

生きていれば誰でも、知らず知らず罪悪感というものが積ります。

これはほぼ毎日起こる現象でしょう。

そして、感動はその罪悪感を逃れる為に作られた人間のプログラムみたいなものであれば、感謝行を続けることで、日々罪悪感を相殺し幸福になる仕組みが出来上がります。

これは人間のプログラムなので、やり続けていれば、正しいか間違っているかが問題ではなく、感謝をし続ければ、かならずどこかで臨界点を超えるという方法です。

感謝とは、心を震わせるようなポジティブな方向性に向かう事なので、ありがとう的な感謝だけでなくとも、あいしてるや、おめでとうなど、さまざまな言葉があります。

できれば、毎日、今日あった「ありがとう」をノートに書いてみて下さい。自分の身体に言ったりすると、罪悪感は身体性を持っているので有効です。

スーパーで野菜を買ったけど、冷蔵庫に中に入りっぱなしで、時間も経ち捨てなければいけないときにも罪悪感は起きます。植物に水やりを忘れた時も、嫌いな人間に会ったときも、自分の身体を粗末に扱った時も、よーく観察すれば、日常は罪悪感に満ちています。

それらは結局すべて思考という観点を持てれば、どうでも良くなりますが、中々そこまでいけません。

また、先祖という思考も存在しているので、当然ご先祖様にしっかり感謝する事は、とても良い事になります。

全ての罪悪感を把握する事はできません。

しかし、全てに感謝する事は、自分の意思で出来ます。

この当たりも、人間の能力の限界のような気がしますが、そういう生き物である以上、仕方ないので、毎日感謝を述べていればいいでしょう。

知識によって、更に多くの原罪に触れてしまった人は、そこの宗教のやり方をしなければ、どこかしら罪悪感は生まれてしまうので、やるのが良いと思います。

我々一般人は、難しい事を考えずに、とりあえず感謝を多くしとけば、それで良しという事です。

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