皆様、おはようございます。
星見です。
論理的な人間ほど賢いと勘違いされている方が多いみたいですが、実際の所、そんなことはありません。
それは、人間は論理的な生き物ではない部分が結構あるからです。
本当に賢い人間は、論理的な説明をしなくても、相手に分かりやすい様に説明できます。
論理的に賢いという承認欲求は、受験という学校制度によって育まれた仕組みみたいなものです。
なので、例えばその論理的な正しさを家庭に持ち込んでも、実際の所はほぼ作用しないのではないか?と思います。
そもそも人間が論理的に正しい存在なのであれば、別に悩む必要なんかありませんね。
悩んでも無駄です。どうなるのか分からない世の中で、一つに依存するのは馬鹿だし、別に衣食住が揃っていれば、それ以上に何かを求める行為はアホに等しいです。
来るかも分からない人生設計なんて無駄だし、それの仕組みを利用してお金を稼ぐ商売なんて詐欺に近いでしょう。
なんて言われるとムカつきますよね。
色々な所に角が立ちます。
もちろん、私はそんな事一ミリも思っていませんが、全て論理的に片付けようとすると、必ずどこか関係性に支障が出てきます。
それが本当に賢いですかね?
寧ろ、論理的整合性が取れた時の脳汁に酔いしれているだけかもしれません。それが合ってるかどうかも分からずに。
しかし、真に論理的に行こうとしている人も、中々大変です。学者になった方が良いです。
なぜ?を許せないからですね。
人間関係よりなぜ?を優先する人達であるのであれば、研究向きですね。
では、論理的な人に出会った場合、どうすればいいのか。それは社会の中には必要な位置づけとして認知しましょう。
それ以上でもそれ以下でもありません。
それは、自分が論理的な人間で無かったとしても、社会の中では必要な位置にある事を意味します。
結局なにが言いたいのかと言えば、馬鹿とかアホとか言われていても気にする事など全くないという事です。