論理的に完璧なもの

皆様、おはようございます。

星見です。

今日鑑定で、自分の事をとても卑下する女性と出会いました。自分は頭が悪いといい、人が言っている事が理解できない事が多いそうです。

私は、自分の頭の中にあるものが理解できない。言い表そうとしても30%も言い表せないので、ちょうど自分がバカで壁壁してたところですとお伝えすると、笑って下さいました。

当然、人は自分ではないので、理解できないのが当たり前で、皆理解している気になっているだけ、突き詰めると全く違うなんてよくある事。そもそも会話なんて理解する事が大事ではありません。なので全く気にしないでくださいとお伝えしました。

前にもお伝えしましたが、私の思うリンゴとあなたの思うリンゴは姿かたち色まで全て違い、それはただの記号操作にすぎなにので、気にする必要はありません。

どうしても今の世の中はいかに論理的であるかという事が重視される傾向にあるようです。

しかし、論理的であることの美しさというものはあるものの、完璧に論理的であるという事は、全ての人間がいつかは到達できるものであるものです。

もし、目的地に早くたどり着いた人が、たどり着いていない人に向かって、バカとか言い出したら、それは単に性格が悪い人です。正しい論理以前の問題です。お金は嘘を付かないが、お金を扱う人は嘘をつく問題です。

なので、全く気にする必要はありません。むしろどうでもいい事です。

私もこのブログを書いている時に論理的に書こうなんてまるで考えていません、特に考えずつらつらと出てくる言葉を書いています。なので文の構成も言い回しも全然、毎回違います。しかも一気に何日分も書いたりします。

たった今も、話が脱線し、なぜか天皇の話になり20行くらい書いていしまったので、消したところです。

そして、今論理的だと思っているあなたも、しょせん後数十年で、頭もボケて何も思い出せないただの食べる事と寝る事だけの人間になります。

人間は論理的な存在ではなく、自然的な生き物なので、いくら論理的にいこうとも、いずれは出来なくなります。

ここで唐突に論理的と自然的の定義にいきましょう。

私的に論理的というのは、人間が作り出したもの=論理的(人工的)

人間が作り出す前からあったもの=自然的

と解釈します。

なので、論理的な世界に生きている人は、大体虫が嫌いになります。家の中に虫がいると、なぜここに虫がいるんだと思うようになります。コンクリートで町を作り、自然と距離をおいて、住みやすい家にしているのにも関わらず、虫が出てくる予測不可能なものを毛嫌いします。するとだんだん、自分が管理出来ないものや、予測できないものは自分を悩ますものという理解になっていきます。

一方で、自然的な人は、虫がいない方がおかしいと思います。いて当然で当たり前なのです。

では人間はどうなのかというと、当然自然的なものです。赤ちゃんを見ていれば分かります。

そして、論理的な物に囲まれている人類が、少子化になるのも当たり前といえば、当たり前ですよね。赤ちゃんからこんな世界は願い下げでしょう。

大声で泣かせてもくれない、外で走りまわる事もできない、どこもかしこも触ってはいけないものばかり、コンクリートとアスファルトだらけです。

現代人は、病院で生まれて病院で死ぬ、今のみんなは仮退院中という養老先生の言葉が頭をよぎります。

小学生の自殺者が増えているのも納得です。まだ論理が発達していない人間に、街が人が組織が論理的であることを望んでいる。

なので、論理的に完璧な物は「とても美しいもの」であり「非常につまらないもの」なのかもしれません。

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