皆様、おはようございます。
星見です。
SNSなどを見てると、境界認知と揶揄したり、相手を貶める行為というのをよく見ます。
これむっちゃ嫌です。
また、知り合いの中でも、自分の旦那はバカでとか言ってる人が過去にいました。
よほど、自分の頭が良く、合理的であると思っているのでしょう。
いかにも自分の頭の機能が、他所より優れていると言いたそうですが、それは人生経験が足りてなく、人生何回目?と問いたくなります。
私は、芸術関係の仕事をしている人が周りの多いので、良く思いますが、彼ら彼女たちは、明らかに脳の使ってる機能が私とは違います。
そしてその分野では、私など足元にも及びません。それはとても尊敬に値する、素晴らしい能力だと思います。
しかし、会話になるとダメです。基本的に話が出来ません。では、この人達は頭が悪いでしょうか。
今この瞬間に目の前にあるものを、自分が表現できる能力としてはずば抜けていると思います。
皆さん大好き大谷翔平を見てもそうですね。
来たボールを打ち返すという競技で活躍してますが、美しいまでに体と脳が一致し、それを人より努力して得た能力を馬鹿であると思いますでしょうか。
でも、話すとどれだけ凄いかなんて事は分かりません。
つまり、皆さんが思う勉強ができ、合理的な解決に至るものが「賢さの一つ」であっても「賢さの本質」ではない事は。お分かりいただけると思います。
夫婦生活で、奥様が旦那様に相談した際に、聞いて欲しいだけなのに、解決策を見出す旦那が賢いでしょうか
何が言いたいのかというと、頭の賢さというのは、クイズ問題を解くことが賢いのではなく、勉強というゲームに勝ち残ったから賢いのではなく、賢いという定義自体が存在しません。
そもそも、頭が賢いというのは、状況によって違うという事を理解した方が良さそうです。
ちなみに賢いという漢字そのものの意味で捉えると
部首:貝(財貨を象徴)
音符・会意部分:臤=臣+又(働く・従順な人)
全体として:「働く者」と「財」を組み合わせ、「財をきちんと扱える才覚ある人」=「賢」という意味に派生
すると言われています。
私は、賢い自体、多種多様な賢さがある。それ以下でもそれ以上でもない。
そして、それは人間が本来もつ役割の様な物である。と捉えています。
なので、自分を卑下する必要はありません。