皆様、おはようございます。
星見です。
皆様は、運命はあると考えますか?それとも無いと思いますか?
こういう問題は、考えるだけで沼にはまって抜け出せないものでありまして、考えるだけ無駄であるというのが大方の意見かと思います。しかし、占い師というのは、誰の為になるわけでも無いものを日夜研究する人の様に、この運命というものに関してを考えるというのが職業病なわけであります。
多くの占い師さんにとっては、運命というものはあると考えるのが普通であると思います。そうでなければ占いということが出来ないからであります。
運命には、ある一定のパターンというものが作用しており、そのパターン通りに人間は生きていると思わないと占い師は予測する事が出来なくなるからです。
しかし、一般の人の中には、自由意志というものが存在し、意思決定を自分でしていくという事が大事であり、それは運命とは関係ないと考える人達も多いのではないかと思います。
確かに、人間の未来が全て確定しているのであれば、私がこれから起こりうる全ての事象を言い当ててみろと言われても、中々に困る問題であります。
私は、「運命」を「曖昧」なものと定義しております。
そもそも曖昧な物という定義自体が矛盾している感じもします。
将来的に、自分の考え方が変わる可能性は多分に含んでいますが、現時点の私の感覚ですと、その実態はとても掴みにくく、有るようで無いものであり、曖昧なものという感じです。
よく量子論をかじった人達が、人生は確率という人がいますが、それとも違います。(あとで書きます)
運命というのはあるが、運命というのは無い。
運命は決まっているが、運命は決まっていない。
運命は変えられるが、運命は変えられない。
こんな所です。とても曖昧ですね。
変な感じがしますよね。すみません。ただこれは私が占い師として多くの人達を鑑定してきた結果現在ではこのように思っているという事です。
そして、その運命という曖昧なものの間に生きながら、自らの自由意思で自らの道を選んでいくという事です。
すると、その自由意志で選んだものですら、運命なのでは?という事が考えられます。
それについては、このように解釈しています。
例えば、バラの種を植えたのに、桜が咲くことはありませんし、ヒマワリの種からお米がとれることもありません。
ある種の物としてこの世の中に生まれた瞬間に、ある程度決まっています。この一見、全て予定通り仕組まれている様に感じる運命ですが、どれ一つをとっても、決して同じものは世の中にはありません。
似たような運命をたどっている人達にとっても、一人一人見てみるとちゃんと違います。よく全く同じ生年月日に生まれたのに人生が違っているという事を目にしますが、これも結局そういう事だと理解すると分かりやすいです。
人が、バラや木それぞれ1本ずつ違うのにも関わらず、全部同じとみなしているレベルで同じ生年月日の人たちの人生をみると、対して差なんてありません。それ以前に生年月日関係なく、人間である以上大体予測がつく可能性すらあります。
もしバラが、棘の位置が数ミリ下ならイケメンなのに!とか思ってるくらいにしか、そもそも人間の運命に差異は無い。
運命は人それぞれ、気持ちや考え方、本人の捉え方などで大きく違い、本人の自由意志によって微妙な差異を作り出す事は可能という風に考えています。
それくらい運命というのは「曖昧なもの」と考えています。
皆さん、生きている上でもっと努力しろとか、努力が足りないんだと言われた事はありませんか?まさに、人生を自分の意思で切り開く考え方で、自己責任論のような考え方ですが、よく経営者の方に見られがちですし、医者家系などの人達にも見られるのですが、実はこの努力というは、生まれた時の遺伝子で既にその人が努力出来る人かどうか決まっているそうです。
環境だけ良くてもだめ、遺伝だけ良くてもだめなわけです。

生まれた瞬間に、ある程度その人の能力が決まっているとしたら、これは運命論になります。
そして、運命論を採用すれば、人間が生まれた時の初期スペックの違いというのも納得がいきます。
というか、自分の初期スペックを運命として受け入れるしかありません。
これを、占い師は星の配置に見出す事になりますし、宗教者は前世やカルマで説明していくことになります。宗教者については専門でないので詳しくは割愛します。
ちなみに、私は、前世やカルマについても、同様に曖昧な立場をとっています。
前世やカルマはあるが、無い。
以前、私の知り合いのおばあちゃんスピリチュアルの先生に前世について質問した事があります。その時の話がとても新鮮でスピリチュアルの人なのにビックリしたので御伝えします。
おばあちゃん=お 私=私
わ「前世というものはあるんですか?」
お「当然ありますよ。あなたの前世は〇〇や〇〇や〇〇です」
私「そうなんですね。ありがとうございます」
お「でもそれに意味はありません」
私「どういった意味でしょうか?」
お「前世はありますが、それは必要ありません。前世がどうだからこうとかはありません」
私「すみません。もっと詳しく教えてもらえないでしょうか」
お「もしあなたに前世の記憶が必要ならば、今も覚えているはずです。人間には必要なものしかありません。今のあなたはあなたの人生なので、前世がこうだからどういう生き方をするなんて考え方はいけません。」
私「前世は前世、今世は今世という事でしょうか?」
お「はい。関係ありません」
こういったやり取りがありました。当時の私は、スピリチュアル系の人は前世が〇〇だからあなたは●●なのですよなんてことを言われると思っていたので少しびっくりしました。もちろん人それぞれなので、何かを否定しているわけでもありません。
そういったものが好きな方々いる事は承知してますし、私も嫌いではありません。
少し脱線してしまいましたが、これが、「ある。が、ない」という考えの基礎みたいな感じになりました。
では、次にそもそも運命とは何かを考えていきます。
運命という概念が人間に導入されたのは、古代メソポタミアやバビロニアまで遡ると言わています。
「神」や「偶然」、「定め」などの世界どこにも存在する文化の源流のようです。
恐らくですが、ここが最初というよりか、それ以上前には遡れるような歴史的価値のあるものが見つかっていないと言う方が正しいと思いますが、昔の人は宇宙全体は注意深い研究を元に、何らかの方法で将来を解釈できると考えたわけです。
確かにそのためにはいわゆる「神」のような超自然的な存在がいた方が都合が良いですね。
神が先か理論が先かは私には分かりませんが、普段生活している中で、超自然的な出来事を説明する為には、必要になってきます。
結局、私たちが人生の目的や、何かの定めによって、何かの意思によってという概念自体が人間が作った発明品であるように思います。最近だと「愛」という概念もそのような効果を持つようになります。
愛し合っていたとしても、お互いに50:50の愛でいる事なんて不可能でありますし、もしかしたら100:0かもしれません。しかし、その愛という概念のおかげで、みんな愛し合って結婚するという幻想を抱いているわけです。
これは、愛が超自然的な存在になっているという事です。そもそも自由恋愛が可能になったのも最近の事ですからね。
言葉とは不思議なもので、りんごと言えば、人それぞれ別の物を浮かべている可能性があるのにかかわらず、りんごで通じることが出来ます。一つ一つ本当は全て違う形にしているのにも関わらずです。
更に言えば、沢山ある一つ一つ違う形の物を、かなり強引にりんごと一まとめに呼んでるだけになります。
これが運命となれば、更に形が存在しないものに、名前を付けていることから、そもそも理解する事が難しいことが伺えます。
そういった理解できない抽象的な概念を否定する人は沢山います。
一番分かりやすいのが、神様でしょう。しかし、そういった人でも人間性や勇気などのよくわからない言葉は使います。
神様を信じないと言ってる人でも、愛を信じる人はいるし、自分が飼ってるペットが無くなったらゴミ箱に捨てるなんて人はあまり聞いたことはありません。しかし、それらも何らかの信仰とい言えば信仰に私には見えます。
そして、そういった亡くなったペットをゴミ箱に捨てるような人が人間的であるのかと聞かれれば、世の中的にはサイコパスと言われる人の事を言うのだと思います。
ちなみに、今までの文脈で分かる通り、私のなかで神様といえば
当然ですが、当たり前にいます。しかしいません。
となります。
神様という話をするとたんに胡散臭くなりますが、私の中に超自然的な概念として当たり前のように存在しています。存在しているといっても、既存の宗教の神様とは異なりますし、人と共有できるものでもないので、カルト宗教すらつくる事ができません。
つまり、りんごと言ってもみんな色んな色と形を思い浮かべるのと同じくです。
そして、ちょっと前の話に戻りますが、運命が確率的であるという事にもとても違和感を覚えます。
運命は完璧な決定事項では無いにしろ、完全に自由なわけでもない。そこには何かしらの秩序と多くの可能性に満ちた混沌とした世界の間にあるものであり、それを確立で求める事はできないと考えています。
よく、占いを統計学という人がいますが、それらとは全く意味が違いますし、それは以前のブログで否定した様な気がしますので今回は割愛します。
そもそも、確率という話になれば、何も迷う事などなく、その試行回数のみが人生を決定すると定義できてしまいますが、そんな単純なわけではないでしょう。現に隣の人は1回で宝くじが当たっても自分が人生をかけても当たらない人が沢山いるわけで、さっきも言いましたが、その試行回数を行う努力すら初期スペックで決まってるわけですからね。
私ごときが考えた所で、答えなんて出るはずもありませんが、人間には計り知れない超自然的な大きなうねりを感じながら、時にはそれに従い、時にはそれに反抗しながら、自分に待ち構えている宿命と自分が行う意思という虚像にも近いものが運命なのではないかと考えています。
とても曖昧ですね。
そして、今まで人間を元に話をしてきましたが、当然木にも花にもそして地球にも運命というものが存在しています。
地球も46億年まえに出来て、今から30億年後には、太陽が膨張して地球の表面を沸騰させて乾燥させるそうです。また50億年後太陽に飲み込まれるそうです。もちろんこれらは、はっきりとした答えが出ていない予測でありますが、地球という星が生まれて持っていた環境も含めたスペックで、ある程度、運命は予測できるわけです。
これから、その精度は更に高まっていくことでしょう。
時代が進み、地球がその運命から脱出できるようになったら、、新しい運命論が出来ているかもしれませんね。