皆様、おはようございます。
星見です。
今回は経験と知識について話をします。
突然ですが、皆様は経験と知識どちらが大事だと思われるでしょうか。どちらも大事と言われれば、その通りなのですが、この違いについて、本気で考えたことはありますでしょうか。
色々と大事だと思うので、今回このテーマについて話をしてみたいと思います。
私は、経験と知識を外と内であると解釈しております。
つまり、経験は自分の外側なもので、内に無いものです。
逆に、知識は自分の内側にあるもので、外には無いものです。
これでは少し分かりにくいので、本というテーマで話をしていきたいと思います。
本でもYouTubeでも何でもいいのですが、これらの何かしらの新しい情報を得た時の感じを思い描いて欲しいのですが、これは、あくまで自分が知りたい内容や、自分が既に知っている内容であることが多いです。
こういった物は、自分の中にある思想や考えなどを強固にさせていくものです。
書を捨て町へでる意味はこういった事を表していると勝手に解釈しています。
つまり、情報というのは基本的に、自分が既に知ってる事や、興味がある方向に展開される傾向をもっている事を言ってます。これは陰謀論にはまりやすい人の特徴であります。
皆そうなのですが、基本的に頭の賢い人と言っても例外的ではなく、意識高い系の陰謀論にはまりやすいです。例えば環境系とかね。
多くはデータを使って解釈されますが、それでも関係ありません。
つまり知識というのは、基本的にそのように作用するものであるとお考え下さい。
でも、逆に素晴らしいものでもあります。
私は、小学生や中学生の時なんかに、三国志とかに代表とされる歴史ものが好きでした。劉備というお殿様みたいな人の配下に簡雍という人がいます。この簡雍という人はとても能力が低い人の代名詞みたいな扱いをされるのですが、この簡雍は、劉備が旗揚げする時からずっといるんですよね。
子供の頃は、ダメな武将だと思っていたのですが、だれも孫正義が会社を作ったときからずっと就いてきた会社の人間をダメな奴だなんて思わないと思うんですよ。
これは、知識で培ったものではなく、経験で培ったものです。
今時の言葉で説明すると、インプットだけしてアウトプットし、そのフィードバックをインプットするみたいな事が言いたいです。
特に本のすばらしさというのは、そこにあると思っているのですが、あまりにも昨今は良いか悪いかなどの情報に左右されてみている方が多い気がしています。
でも、その情報自体も、良いか悪いかだけでなく、基本的に知ってるか、自分が興味あるという情報しか脳には入りません。
つまり、いくら情報を得た所で、自分を全く広げていない事になります。
そういう人は、ビジネス的にはいいお客様という事になります。
なので、私のブログは意味が分からないとよく言われますが、それで良いのだと自己弁護しておきます。
しかし、これは個人的には脳のスタミナみたいなものだと思っているので、最近の自分の出来る能力だけ広げればいいという風潮とは真逆です。
また、知というもの自体を知識に限定するのは、大変もったいないですね。五感全てがそうであるはずです。
都会に住んでいると、限られた五感しか鍛えられないので、認知能力や運動能力の発達に影響が出るなんて言ってる人もいますね。大人になってもそうだとおもいますが。
知で得た物を行に変換できるか。行で得た物を知に変換できるか。このバランスを心掛けていきたいところです。