皆様、おはようございます。
星見です。
まず、自分が最近、心がグッときた事を三つくらい上げてみましょう。
とても感動して、涙なんて事もあったかもしれません。
でもそれは、自分の罪悪感が背景にあるかもしれません。
これは、とても芸術性は高いものですが、気を付けなければいけません。
例えば、先の大戦にて無くなった英霊の方たちを前にすると、今幸せに生きれている事に罪悪感を覚えます。すると小さな幸せに感動出来るようになります。
大自然に包まれた時に、自分の未熟さや人間の破壊的な行動に罪悪感を覚えます。するとあなたも環境活動化になる可能性を秘めています。宇宙もののSFとかもそうですね。
大谷翔平などのスポーツ選手に憧れを抱くのも、子供の頃自分が憧れたものを諦めた経験がある人にとっては、罪悪感を刺激し、感動を覚えさせます。
宗教的な戒律や、人間の原罪などの罪の意識は、そのまま罪悪感として利用され、神聖な出会いや神への感動を呼び起こします。
つまり、感動とは、罪悪感に耐えれない人間への精神修復プログラムみたいなものであるという事です。
そして、それのプログラムを感動と呼びます。
感動する事によって、その罪悪感から救われるという構造を持っています。
私の知る限り、アメリカという国はこれをよくやります。何かしらを乗り越える文脈に使われる事が多いです。
この構図は私たちの人間社会の中に、多分に設けられているので、別に悪い事はないと思っている人がいるかもしれませんが、問題はそう単純ではありません。
その罪悪感は、自分が経験したものと、それ以外から植え付けられることが多いからです。
親から、先生から、友達から、彼氏彼女から、本から、動画からなどなど。
そして、酷い場合、それはマインドコントロールやカルト的なものへの支配的なものとなります。
これらは中々強固なもので、自分だけの力では取り外す事ができません。
感動というのは、素晴らしいものであり、中々に厄介なものなのです。
なので、私は優秀な宗教の教祖足る人物は、決して自分の教えを形式化、体系化しないと思っています。なぜなら、それを分かっているはずだからです。
しかし、これは宗教に限らず、大体に人は、自分の罪悪感を刺激され、導かれた結論には、より強く正しさを求める傾向にあるようです。選挙戦とか見てたら分かるよね?
結局、罪悪感というものは、過去の物であり、今と関係あるように見せている幻想なのですが、そうは言っても中々難しいと思うので、自分の感情が揺さぶられた時には、それが何処から来て、どこに向かおうとしているのか、自分の中で安易に結論付けるのではなく、観察する事をオススメします。