皆様、おはようございます。
星見です。
占いを勉強したら、占い以外に何か役に立つのか?についてお話します。
結論を先に述べますと、神話や宗教がクリエイティブの宝庫であり、スピリチュアルや占いに関しても全く同じであると考えています。
そういった意味では、全てにおいて同じであるわけです。
クリエイティブといっても、そんなの必要ないと思われる事があるとは思いますが、例えば、最近の商業的な感覚で言うと、AIや宇宙事業などの経営者は、大抵1950年代のSF小説を元にされており、その影響は現在の未来に対する思考も大体その1950年代に出尽くしています。
世の中のスピ界隈では、量子重力宇宙論と神話や仏教の話を絡められて話をされています。
私は、量子論の話は好きでよく見たり読んだりしますが、ハッキリいって人間感覚としては受け入れられないものが多いです。計算上では整合性はとれているのでしょうが、感覚的な受け入れが難しいです。オカルトとの見分けなんて普通では出来ないでしょう。
こういうのは、一つの見方として非常に面白いですね。
占いもそうです。
例えば、東洋占術。五行の五元素から世の中の仕組みをとき、陰と陽の二元論にて世の中の成り立ちをときます。
西洋占術では、惑星の意味や角度、ハウスなどで説明します。
タロットなどでは、世界共通のシンボルとは何か。全員の共通意識にアプローチできます。
恋愛ドラマを見ようが、SF作品を見ようが、歴史小説を見ようが、推理ものなどなど、その人の人生をより豊かにする可能性があるものです。
何かを否定した瞬間に失われる何か。人生の選択をした時に失われる別の可能性。
そういった意味では、人々が生き続けるということは、それらの連続であるわけですが、ふと大きな壁にぶち当たった時、それを助けてくれるのも、別の選択肢を教えてくれるものもにもなります。
本当に人生を豊かに出来るかは、自分次第ですけどね。
占いというのは、皆さんが思われている以上に、論理的な部分が強いです。もちろんスピリチュアルな部分も多分に含みますが、ほとんどの人のイメージは論理的なものではないはずです。
個人的には、段階にもよりますが、論理的な部分は強い。であれば、人々がかならずいつか到達する結論であるという事です。
人々が到達できない結論は、論理的ではなく、それは神的だからです。
しかし、私程度の人間がある程度理解出来る、分かる、と仮定すれば、別にそれは大したことではありません。
であれば、占いとは、占い自体が凄いのではなく、占い師自体が凄いのです。
よく考えれば、当たり前の話で、アイドルが凄いのではなく、その人の頑張りが凄いんですね。
なので、占い師は人間的に成長し続けなければいけません。なので、私は先生という呼ばれ方が大嫌いです。それは占い師の事を先生と呼ぶことが嫌いなのではなく、私を先生と呼ぶのが嫌いという意味です。
ただここで問題が起こります。
人間的に成長するとはどういったことでしょうか。
昔、筒井康隆が、作家とは殺人者を肯定できるのが仕事だみたいな事や、立川談志は落語を業の肯定だと、はっきり詳しく覚えていませんが、言っていた事を記憶しています。
人間的に成長と言っても、それは公共的な物を表すのか、個人的な物を表すのかがハッキリしません。
公共的に正しい人間になるとは、政治的にも、道徳的にも、皆が正しいという方向に成長していく必要があります。簡単にいうと政治家や芸能人ですね。
また、個人的に成長となると、社会とのギャップが必ず生まれます。また個人的に成長と言っても、業界や集団、思想グループという中の個人的な成長を目指していると、それはその中の公共性が生まれるだけでは?とも考えてしまいます。
であれば、どうすれば良いのか。
賢い人は、その結論的なものは分かると思いますが、今回はその話をしません。
今までの文脈でとらえるのであれば、より多くの物を自分の中にインストールし、自分に落とし込むのではないでしょうか。
自分の携帯の中に、アプリを沢山入れるような感じです。
正直、それはそれで問題は起こるとは思います。
ただ、占いというのもその一部であると考えてもらえればと思います。