皆様、おはようございます。
星見です。
最近は、判断について沢山思う事があります。
この間の選挙戦からですかね。色々と判断について考えさせられます。
皆さんは、思考的な判断というの物は一体何者なのでしょうか。
恐らく人類史的にも、ここまで言葉や数字、歴史について細かくやってきているのは、かなり浅い歴史かと思います。
例えば、政見放送などを見た時に、どこまでその人の話が頭に入っているでしょうか。
自分が意識的に自覚出来ていない情報の方が、本当は多数を占めているのではないか?という思います。
これは恐らく人間の生存戦略的にも、そちらの方が正しいのではないかと思います。
ずっとそれでやってきてるしね。
つまり、自分の感覚を信じた方が上手くいくのでは?と思います。どこまで自分の感覚を研ぎ澄ませれるかは人それぞれであるかとは思いますが。
ある程度、社会的に生きて行くためには、論理的思考能力というのも必要ですが、自分の人生においてはどこまで必要なのかなと考えたりします。(その論理的思考というのが怪しいのは別の話)
パッと人を見た時、言葉より、先に浮かんでくる、その人の表情、服装、見た目、匂い、音、言葉以外の情報の処理の方で既にほとんどが決まっているのではないでしょうか。
恐らく、思考や考えなどは、人間の情報処理においては、全くの表層部分であるのかな?と思っています。
実は、今の社会はその表層部分の記号操作が上手な人が、成功しやすい様になっていますが、個人的に言いたい事はそういう事ではなく、
ほとんどの意思決定は既にされているのではないか?ということです。
この人が好きとか嫌いとか、この人とどうなりたいとか、自分が考えている以前に既に決定しているのではないでしょうか。実現可能かどうかは別として。
占いをやっていて、とても思うのですが、占いは運命論的な方向で進んできた歴史というものがあると思います。
良いと悪いがハッキリでるんですよね。
あなたが、どう思っていても、相手が何を言っていようが、良いものは良く、悪いものは悪いです。
しかし、昨今は、相手の心理的な描写をとても大事にしている様に思います。
別に昔に生きたことないので、ハッキリと言えませんが、占いはハッキリ出る物である方向に成長してきた(ニーズがそうであると思う)、しかし現在はハッキリと出る事を恐れる傾向にある
という事です。
それを、私から見ると、自分の潜在的な判断に気づきたくないという風に見えます。
あまりにも、普段から表層的な部分で戦っているので、自分の本当の所に意識が向かないのかな?と思います。
そういうのは、言語化出来ない事も多いので、言語化出来ない物は無いものとして生きているのかな?と思います。
しかし、自分の意思決定が、その言語化できないものでほとんど決まっている場合、どうするべきなのか?
私的な答えは、考えるな、感じろ
なのかなと思っています。
現に、選挙での投票行動をどのように決めているのか?について言えば、しっかり政策を調べて、実績を調べてとやってる人は殆どおらず、多くの人は、雰囲気やあの人が言ったから、顔が好き嫌いなどで決めている場合が圧倒的多数であると思っています。