咎無しこそ最高である

皆様、おはようございます。

星見です。

易経という物の中には、吉、凶、吝、悔など色々ありますが、一番良いのが、無咎、つまり咎無しであるという教えがあります。

少なくとも、私はそう習ってきたし、自分でもそう解釈しています。これだけで相当の量の文章がかけるのですが、今回は日常の中で、分かりやすい解釈を見つけたので紹介します。

まずは、咎無しの意味について知らなければ話にならないので、調べてみます。

「咎(とが)なし」は、「罪や過ちがないこと」「責任や罰を受けるべきことがないこと」を意味します。特に「お咎めなし」という形で使われることが多く、人の罪や欠点を責めない、または罰を与えずに見逃すといった意味合いで使われます。

だそうです。

この間、車でショッピングモールに行きました。

駐車場に車を止めなければいけないのですが満車ぎみです。

目の前に止まっている車が出庫したので、そこに車を止める事が出来るのですが、お店の入口から少し遠い。

もう少し、お店の入口近くに駐車スペースが無いか運転したいところですが、そもそも満車ぎみなので、空いてない可能性があります。

また、自分の車の後ろにも後続車がおり、今空いた、お店から遠い側の駐車スペースに車を停めなければ、後続車にそのスペースをとられる可能性があります。

さて、あなたはどうしますか?

もっと分かりやすく言うと、イオンモール府中一階の駐車場です。

お店の入口から遠い駐車場は、太陽の日差しを受けます。なので、帰りの時にはハンドルが熱くなっているし、車の中も熱がこもっているでしょう。

方やお店に近い駐車スペースは、建物の下なので日陰です。日焼けの心配もありません。

さてどうしますか?よくある日常のシュチエーションですね。

コストコなどに行ってもよくありますね。スーパーでもよくあります。

よりお店に近い側の駐車スペースに向かった場合に、空いていれば「吉」ですね。空いて無くて、先ほどの駐車スペースに戻ったところで、そこが取られていたら「後悔」します。結局、止めるところが無くて、グルグルと駐車場を回っていて、良いところで止められるまでやる行為は「吝」となりますね。またそればかりに気を取られており、対向車や人に気付かず事故を起こしてしまっては「凶」となります。

目的は、ショッピングモールに行くことです。いい場所に車を停める事ではありません。

では、最初の所で車を停めていれば、どうなるか。まさに咎無しです。

この目的に対して、過ちが無いという感覚がとても大事になってきます。

物事は極まれば必ず反転するとか

雨が降れば必ず晴れるとか

盛者必衰栄枯盛衰とか

極まっていくことが、実は崩壊の始まりであるという考え方は、東洋系ではよくありますが、まさにそうであるわけです。

たまたま駐車場で吉であったとしても、その経験から必ず次も吉を目指していく、それば必ず後悔することや、凶になることがある事を言っています。

そして、この状態は、既に自分の本来の目的から逸脱している可能性があるという訳です。

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