神無月のゆえん(所説あり)

皆様おはようございます。

星見です。

11月でという事で、「神無月」という良い季節です。

全国八百万の神様が、出雲へ集合し、多くの地域では神無月になるのでこの名前が付いたそうです。

逆に、島根県では「神在月」と呼ぶそうです。

凄いですよね。もうこの月に島根でギャンブルした方がいいのではないかと思わせますよね。

  

ちなみに、出雲大社の祭神は大国主さんであり、天を象徴する天照さんに対して、大地を象徴される神様です。

大国主さんには沢山の子供がおり、その子供たちが全国各地の国を管理していたので、年に1回出雲大社にもどり、今年度の報告や来年の予定などを決めていたなんて話があります。

今では、縁結びの総本山となっています。

しかし、なぜそういった信仰が生まれたのか気になりますね。

今日は私の中で割と合点がいく節をご紹介します。

 

これには大和政権が関係しています。

(大和整形についてはコチラを参照してください。)

大和政権とは、古代日本に成立した都市国家です。今の奈良県の南部当たりで成立していたと言われています。

この大和政権から見た出雲の方角が、戌亥(北西)に当たります。

皆様ご存知の東北方面は「鬼門」に対して、北西は「神門」と呼ばれます。

この北西から福徳をもたらす神霊や祖霊が訪れるとする信仰は古くからありました。

その為、屋敷神や土地神が祀られてるのもこの方角であることが多いようです。

そして、元々農耕民族であった日本人にとって、天候や害虫などの諸々の現象は人間の力量をはるかに超えており、その諸現象に左右される稲作は、ギャンブル的要素のある一種の賭けでもありました。

それだけに、秋の収穫の喜びというのは別格で、この季節にお祭りが多いのもうなずきます。

かくいう私も、実家ではお米を作っており、今年も稲刈りが終わった後の、あのなんとなくの安心感「これで何かあってもとりあえず1年間は食べていける」という気持ちは分かります。

日本人の信仰の深淵には、宗教や政治システムを超えた、自然に対する畏怖と恭順の心にあるといっても過言ではないでしょう。

春には豊穣を祈願し、秋には感謝の秋祭りを行う文化が生じたのもとても自然な事かと思われます。

また、民間信仰でよく見られる、春になると山から神が里に下りてきて田の神となり、秋になればまた山に戻っていくという信仰も、元々の日本人の生活における体験がらきている様にも思えます。

ちなみにですが、狐も春になると山から下り、冬になると山にこもります。その姿が神の使いとして現在の稲荷様信仰へと続いていくと考えてもおかしくはないでしょう。

日本における稲作の始まりは、とても古く、また稲作において山というのはとてもとても大事なものなので、こういった信仰が根付いたことにも納得がいきます。

このような文化的な背景を元に、方位術、神威高き出雲大社、大国主伝説等の発想が結びついた結果、この秋になると戻られる神様の行きつく場所として想定されるのが出雲であるいう説です。

とても面白いですよね。

  

いつも皆様の幸せとご無事を祈っております。

ありがとうございます。

星見

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