皆様、おはようございます。
星見です。
元々漫画原作のアニメなのですが、私は漫画にあまり詳しくない為、アニメ版を見ました。
面白かったですねぇ。2日で見てしまいました。

地動説というより、哲学のアニメでした。
あまりネタバレはしたくはないので、詳しくは話しません。
ただ、この作品内でしきりに語られる「感動」について、ちょっと言います。
「感動」は深く心を動かされることを言いますが、これは中々に厄介で素敵な物です。
人は「感動」経験から、今までの全てを捨てることが出来ます。「感動」することによって何かに突き動かされることもあります。また、「感動」によって神に反旗を翻すことだってできるのです。(ここで言う神は人間の作った神)
また、歴史というのは、正しいものが残っているわけでも、論理的に優れている物が残っているわけでもなく、感動してきた物が残ってきているという考えも出来ます。
何かを学ぶ際にも、自分がこれを知りえた感動が相手に伝わらないと、それは残ってはいかないのです。
とまぁ自分でこの文章を書きながら、ツッコミどころは満載ですね。
「感動」というのは力があります。
そして先ほどのツッコミどころ、つまりは「問い」が無くなれば、それは信仰です。はい世の中は「信仰」で満ちています。
しかし、「感動」はその信仰さえも凌駕してしまう力を持っています。
分かりにくい例を出します。
夫婦仲良く、微笑ましい家族があったとします。男女はどちらでもかまいません。周りからもとても素敵な夫婦と思われ、自分達もそう思っています。
ある時、片方が何か衝撃的な「感動」してしまいます。頭の中はそれで一杯です。早くそれがやりたいです。しかし家族がいるのでそれにのめり込むわけにもいきません。諦めようとします。しかし、頭から離れません。多くの「問い」が頭を駆け巡ります。しかし強烈な感動体験の前には成すすべもありませんでしたとさ。
安心してください。普通に生きていたら、そこまで強烈なのは来ません。
しかし、皆さんも少なからず、感動=心を動かされた経験はあるはずです。
その強烈な何かは、人に運命を感じさせるし、時に間違っていたとしてもそれを求めてしまいます。
昔の哲学者で、「感動とは、知性において直感が生じることである」と言ってる人がいます。
もし、思考や合理的な判断を超えた、直感的な強烈な感動に出会ってしまったら、迷わずいけよですね。
それで、もし間違っていても後悔なんてするはずが無いですから。