皆様、おはようございます。
星見です。
「北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて」この歌の解説Geminiにきいてみました。
はい、承知いたしました。俵万智さんの短歌「北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて」の現代語訳は、いくつかの解釈が考えられますが、主なものとしては以下のようになります。
解釈1:別れと孤独のイメージ
北の山にたなびいている雲よ。その青い雲から星が離れていき、さらに月からも離れていってしまう。
この解釈では、「星」や「月」を大切な人や場所の象徴と捉え、「離れていく」様子を別れや孤独感を表していると解釈できます。青い雲からさらに遠ざかっていくイメージが、寂しさや喪失感を強調しています。
解釈2:自由と解放のイメージ
北の山にゆったりと漂う雲よ。その青い雲から星が離れていき、そして月さえも離れて、どこまでも自由に流れていく。
この解釈では、「離れていく」ことを束縛からの解放や、どこへでも行ける自由な状態と捉えます。青い空を背景に、雲が悠々と漂っていく様子が、開放感や未来への広がりを感じさせます。
解釈3:自然の壮大さと時の流れのイメージ
北の山にかかる雄大な雲よ。その青い雲から星が次第に遠ざかり、やがて月もその姿を消していく。
この解釈では、夜空の自然現象をそのまま描写していると捉えます。青い夕暮れ時から夜へと移り変わる中で、星が輝き始め、月が昇ってくるという時間の流れや、北山の壮大な自然の情景が目に浮かびます。
どの解釈が最も適切かは、この短歌が詠まれた背景や、読み手の心情によって変わってくるでしょう。 俵万智さんの短歌は、情景描写の中に深い感情や普遍的なテーマが込められていることが多いので、ご自身の心に響く解釈で味わってみてください。
ちなみに、この作者は、俵万智さんではなく、持統天皇です。
ちょっとタイトルとは、全く違う感じになってしましましたが、面白いので載せました。
一応奈良県が、文章を出しているので気になる人は、以下参照
ここから本題に入ります。
元々、古い日本では、人は死ぬと、まず「荒魂」になるそうです。その言葉の通り、荒々しく生前やり残した思いや恨みがある場合には、人に害をなすこともあったそうです。それを時間をかけて宥めて鎮めていきます。
そのご「静魂」となり、残った人を守ってくれる存在になるそうです。その段階であの世に送り、祖霊として子孫を守る神様になるという感じです。
この説通りによむと、この持統天皇の歌は、八年前に亡くなった夫である天武天皇の魂が、北山より星を離れて月を離れて天上にまでいったと読むことができるそう。
8年後についに天界に行ってしまわれたのであろう。
ちなみにこの儀礼をもがりというらしい。
万葉の時代の人々にとって、天上界は死者と結びついていたのだろうか。星をみて懐かしむ場所だったのだろうか。
この亡くなった人との距離感が、美しく感じます。