真に自由になろうぜ⑥

皆様、おはようございます。

星見です。

前回より、時間が沢山かかってしましましたので、今までの流れは殆ど覚えていません。ごめんなさい。

この真に自由になるシリーズは、当てはまらない人もいるかもしれないです。この間は難しいと言われたので(読んでる人がいる事に驚きです)なるべく平易に書きたいと思います。そして、私は間違っているかもしれません。全くもって正しくない様にも思えます。私自身、思考的に反論することは容易いことです。

しかし、その思考的反論には、今までの前提や前持った結論、記憶、経験等の何かしらの影響からの支配からは逃れることが出来きないことを問題にしております。

つまりそれは、誰かであり、何かであり、自分では無い、真に自由とはいえないものになってしまうからです。トラウマを憎み、嫌悪しながら生きて、気づけばそのトラウマがなければ生きてはいけない様になってはいけません。

なので、皆様と一緒に、生きるとは、死とは、愛とは、正義、悪など色々な事について考えていければと思います。

自分自身の自由を見つける一助となれればと思っております。と前置きはさておいて

最近、世間では、田中氏と永野氏の不倫の件で持ち切りですね。これだけでこの文をいつかいたかバレてしまいそうですが、まぁ関係ないので良いでしょう。

皆さんは、あれについてどう思いました?

あれは、真に自由ですかね?

自由恋愛と捉える事はできるかもしれませんね。

自由と責任が付いて回る事例ですか?今現在、この問題がどのように取り扱われているか不明なので、あまり詳しくは言えないのですが、永野氏は彼氏なるものもいて、不倫もされている。田中氏は結婚し子供もおられ不倫をしているで間違いないでしょうか。とりあえずこれを前提として見てみましょう。

ここからは、私の妄想が入り混じるので、気を付けて下さい。

まず永野氏ですが、誰と付き合おうが、何人と付き合おうが、正直心からどうでもいいですね。好きにしろよで終わりです。

しかし、なぜそうなるのでしょうか?相手は結婚してまして、一応世間的な観念では付き合うのは一人、彼女は女優で、そういった問題がダメなのも知っている、ばれたら大変になるのも分かっている。何が彼女をそうさせたのでしょうか。

次に田中氏、嫁、子供いて、不倫はダメというのが一応世の中的なやつです。彼も俳優で、そういう問題がダメな事も知ってるし、ばれたら大変になることも分かっている。なぜ彼はそうなってしまったのでしょうか。

何かがおかしいですね。何かがおかしい。そんなバカなはずはありません。

基本的に私は、その人自体が悪いのではなくて、人には悪い状態があると思っています。

多分永野氏にしろ田中氏にしろ、知り合いの有名な俳優さんなどから、実は不倫をしてるんだよねと相談されたら、やめた方が良いとか、絶対にばれないようにしなきゃダメだよと言うのではないでしょうか。

冷静に考えたら、リスク高すぎ問題じゃないですか?なんでそれをしてまで??

また、子供の頃の自分に、それを聞かせたらなんていうでしょうか。あなたは将来、嫁、子供もいて、若い女にうつつを抜かし、人生が台無しになりますと言われたらどうですかね。

本当にバカだよねと、多くの人が言うと思いますが、ではあなたは大丈夫なのですね?とも思います。

まあ現在、圧倒的な何かに支配されている状態であることは間違いなさそうです。そして、そもそも人間なんてそんなものだよともとれますね。

光源氏みたいな変態は昔からいますしね。

そういった、何かからの支配から抜け出すために、真に自由への理解の助けになるので、永野氏と田中氏には感謝しかありません。

よくありますよね、あんないい人だったのにまさか…みたいなやつ。あるんですよ人には、その瞬間にその状態になることが。なので自分は大丈夫だと思わない方がいいです。多分人間は、何かにやられるとそういう状態になり、新興宗教などに熱心になったりするのでしょう。

ちなみに、神様の良いところはそこにありますよ。信心深いことによって、そういった自分が変な状態に入る事を抑える事ができます。浮気したい!って思っても、自分より偉いものから、ダメやでと言われる事で、抑えることが出来ます。

そして、信心深ければ深いほど良いでしょうが、人はそうでないものをダメだと思ってしまうようなどうしようもない生き物なので、そこは注意が必要です。一生懸命勉強すると、してない人を下にみてしまうのと一緒です。

なので、基本的には信心深い人はいい人が多いのですが、どの世界にも詐欺師はいるので気をつけましょう。

少し脱線しましたが、自分の今の状態がどうであるのかが重要に思います。

先ほどもいいましたが、普通の状態であれば、いかにリスクが高すぎるか分かるのでは?と思ってしまします。過去の先人たちも同じような失敗をずっと繰り返しています。

そして基本的に、多くの人は、過去もそうであった様に、未来も何かに少なからず囚われて生きています。

良い囚われならいいのですがね。しかし、そのほとんどは、その囚われから目が覚めることがほとんどです。

その時思うのです。こんなはずはなかったと。

と建前はさておいて、

いつから、そういった欲を禁止するようになったのですかね。私は皆さんと同じ時代を生きている物なので、別に一夫多妻その他の類のものに興味は特にないのですが、ちょっと不思議に思いませんか?

少し前の時代では24時間働けますかであり、その前の時代は欲しがりません勝つまではですね。

そして今は、清廉潔白であることが求められる時代です。

そもそも人間が持っている欲というもは制限されます。特に宗教などは顕著ですね。

無論、国もそのように制限します。

西洋人が、いつかハルマゲドンが来ることを信じている様に、バイオハザードやマッドマックス的な世界観が押し寄せてくるという価値観を無意識化で信じている様に、どこか私たちは、欲というものを禁止し制御しなければ、人間的な社会は営めないと思い込ませているようにも思えてきます。

欲という物を制限しないと、高いとこに行けないぞ。まぁどこから見ても支配的な構造ですわな。いくら人々が無視論者ですと鼻高々に言っても、そういう根本的な意識は結局一緒なのですよ。どうせ世界が混迷を極めたら、宗教的なものに戻り、救世主を探し、誰かにたよるものです。

しかし、これはいつからなのでしょうか。日本神話の捉え方も、欲自体を否定してみるのかどうかで見方は大分変ると思います。

こういう話になると、すぐにそれは支配者にとって安定した都合のいい様に作られた社会システムであるという陰謀論に近いことになるのかもしれませんが、そんなことはどうでも良いです。

陰謀論なんてものは、思考であることの最たるものです。鑑定でも大津波が来るとか世界が終わるみたいな事言ってくる人沢山います。それに囚われていては結局は一緒です。

思考的に陰謀論を考えるなら、恐らくは、人口規模に応じて社会を安定させる為には必要なんでしょどうせ。昔の本にはいい事は書いてありますが、あれらは大体数万~多くても数百万規模の都市を如何に安定させるための道徳的なものなので、こんな1億とかSNSを通じで数十億なんかを扱えるわけがないとも思っています。

それとは別にそんな事とはなんら関係なくどうでもいいし、あるものはあるし、無いものは無いので終わりです。

それよりは人間は恐怖というものから逃れようとするあまり、より恐怖を意識し強固にしている方が自由ではない様に思います。トラウマの原理と一緒ですね。

いつか恐怖についても考えなくてはいけないのかもしれません。そもそも人間という個体がそういう性質を持っているのかもしれません。

なので、不倫問題はどうでも良いと思っています。

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