皆様、おはようございます。
星見です。
私個人的な見解はもう出ているのですが、あえてそれは言わず行きたいと思います。
例えば、この文章をどこで見ているのかは分かりませんが、目の前にメロンはありますか?
ないですね。
無いとしましょう。
でも、目の前にメロンがないのにメロンというもはあると思っています。
それは、メロンを見たことがあるから?メロンというものを知ってるから?
答えは全てNOです。
そもそもメロンなどありません。ぼくらがそのものを勝手にメロンと呼んでいるだけです。
本来はメロンでもセロンでもヨロンでもいいのです。
かってにアレをメロンと呼んでいるだけです。
よってメロンがあると頭が勝手に情報を抽象化しているにすぎません。
抽象化とは、例えば、メロンといっても、一つとして同じ物はありません。木目みたいなやつから大きさまで、コンマ数ミリ単位で全て違います。しかしそれを大雑把に抽象化した事によって、メロンという名前をつけているということです。
どこからどこまでがメロンなのかも明確ではありません。
人間はあらゆるものを抽象化しています。
しかし、なんども言ってますが、言葉は分ける性質を持つものです。
メロンとスイカの名前が違うのは、メロンを頼んでスイカがきたら困るからです。
そうでなければ、全て果物でいいのです。
みんな虫が嫌いですが、ワモンゴキブリと黒ゴキブリの違いなんてどうでも良い。
よって、ゴキブリとよび、ゴキとよび、Gとよびどんどん抽象化していきます。
この抽象化の過程と言葉の性質の違いが本当に面白いです。
私が、よく神は存在しないが、神という概念はいると言っているのがこれです。
この一見矛盾したものが成立するのです。
つまり、Gという物は存在しないが、Gという概念は存在している、そしてGとはゴキブリの事で、ゴキブリも実は色々と種類があって、その種類の中でも同じ物など一つも無くて……
と永遠と続いていきます。