絶対幸福の歴史

皆様、おはようございます。

星見です。

絶対幸福というは、恐らく宗教的な分野が一番メインで考えてきた事です。

彼らだけが扱ってきた、人生の攻略本です。

しかしそれらは、神官でないといけないとか、坊主でないといけないとか、回心しないといけないとか、生まれた時からもう決まっているなど、あらゆる理由をつけてやってきました。

おそらく、プロテスタントと浄土真宗が、一番大きな変革ではないかと予想していますが、専門家ではないので真に受けてはいけません。

例えば、聞いたことあると思いますが、悪人正機などはその最たるものですよね。

どのように絶対幸福を獲得するのか。

キリスト教だって、救済へのシステムをどのように一般へ開放するのか。どのようにして人間の功績から切り離すのか。をずっとやってる様に見えます。

日本でも、ものづくりの原型はそこにあると思っており、一般人でも極めていくことに仏性を見出していたわけです。

悟りを開くという宗教行為ではなく、茶や花、能に書など、道がつくもの達がそうですね。

そして、現在でも幸せになりたいと多くの人が願っています。

しかし、幸せとは何なのか誰もしりません。

お金があれば幸せなのか?という問題は昔からありますが、お金があるという幸福は、他者と比べて幸福であるという無理やり数値かすれば可能ですが、それは本質ではありません。

私の周りは金持ちが多いですが、皆それぞれ、特有の悩みがあります。

この前に、知り合いが莫大な財産を受け取りましたが、それによって家族は崩壊しました。

お金を持つことによる幸福度と、個人の幸福かどうかは全く関係がありません。

自分は何をしている時が一番幸せなのか。

それを知る事が、一番の幸せの道です。

少し気分が乗ってきたので、次回も続けます。

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