死の自覚

皆様、おはようございます。

星見です。

人間というものは、答えが出ないものを考える宿命を与えられている生き物でありまして

私とは何か?

人間とは何か?

どのように生きるべきか?

などなど、そもそも考える事が主軸となった生活をしているのでは?とも思います。

誰の人生か、世間とはなにか、自分は誰?などなど

恐らく人間として生まれてしまうと、こういった物から逃れる事は出来ないのでしょう。

考えない様にしても、忘れても、この問いは必ずいつか戻ってきます。

それは死を自覚した時です。

ある程度生きていると、みんながそうしているから、常識的にこうだからという、周りという生き方を自分の中に取り込み生きて行きます。

当然これらは本来の自分ではなく、誰かとして生きている訳であります。

(そもそもそんな者はありませんが、一応社会の定義上そうなっていると思うので続けます)

毎日の仕事や恋愛、SNS見る日常という忙しさの中で、本来の自分というのはどんどんとかき消されています。

しかし、それらを喝破する出来事が起きます。

それが死の自覚です。

死は他人と共有できない、他人に代わってもらえない、自分だけの問題としてやってきます。

誰かが死んだとき、病気や怪我など、さまざまな状況でそれはやってきます。最近だと、子供が成人したので、離婚して別々の人生を歩みたい人もいます。

つまり、死の自覚をした時に、初めて生の自覚をしてしまいます。

人間は、そういった問いを抱えたまま生きる存在であるわけですね。

問いを抱える宿命をもってしまっているので、別に自分が自分の人生を生きていないのでは?という問い自体に答えは出ません。

別れた所で人生がハッピーになるわけでもありません。

なので、誰しも自分の人生を否定的に考える必要なんてどこにもないのです。だって問う様に出来ているのだから。

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