芸術性について

皆様、おはようございます。

星見です。

どういったものに芸術性があるのかという問いに自分なりに答えが出ましたのでここに記します。

私の友人のお爺さんにこんなエピソードがあります。

「戦後、どうしても酒が飲みたくて、友人と一緒に米軍に不法侵入し、戦闘機のガソリンを抜いて飲んだ。そしてその結果、友人の一人の目が潰れた」

このエピソードはとても好きなエピソードです。

そして、ここにとても芸術性を感じています。

どうしてここに芸術性を感じてしまうのか。

それは、人間の生存を脅かすかもしれない状態。それは見つかったら殺されるかもしれない。ガソリンを飲んだら死ぬかもしれない。そういった生存に関わってしまう状態を超えているからです。

例えば、私にとって不必要な物をどんどん少なくしていきます。

どんどんはぎ取って、ゼロに向かって行くとします。

しかし、どんなにはぎ取ろうとしても、どんだけ頭ではわかっていても捨てれない。頑張っても頑張っても捨てきれない。それは身体感覚に染みついてしまったもの。

これを私は美意識と呼んでます。

そして、美意識と創造は対をなすものです。

こうすれば簡単に儲かる事が分かっていても、やる事を自分が許さない。

中学生になって、数学でxyという文字が数式に入ってきたとたんに、数学が分からなくなるあの感覚。

頭ではわかってる、どうしても許せない。そして言葉に出来ないあの感覚。

これら美意識のなせる技であると思っています。

美意識というと、外面について多くの人は言うのかもしれませんが、個人的には寧ろ無くそうとしてもなくせないモノであると思っています。

誰から見ても、たかが一本の線であるが、自分は気に食わないのです。その線が。

これは、快、不快の問題。

不快というのが美意識の根源であり、快という創造によってグルグル回っているものに芸術性が宿ると思っています。

死に対しての不快

無秩序に対しての不快

空腹に対しての不快

これらへの創造性と宗教、哲学、技術的進歩というのは切っても切り離せません。

そしてそれらが、普遍的なものなのかもしれませんね。

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