人間の動物的な幸福と社会的な生き物としての幸福について

皆様、おはようございます。

星見です。

田植えをしながら、考えてましたので、一旦ここにまとめます。

人間には、動物的な幸福と、社会的な生き物としての幸福があると思います。

動物的な幸福とは

安全、食事、睡眠、性、仲間、身体活動、安心できる居場所などと定義します。

また社会的な生き物としての幸福とは、

承認、役割、尊敬、所属、意味 、アイデンティティ、比較優位、自己実現などがそうです。

恐らく、こられら二つは、本来分けられるものではないと考えます。

社会的な生き物としての幸福自体が、動物的な幸福に内臓されていると考えています。

しかし、社会が発達しすぎた結果、社会的な生き物としての幸福の重要性が肥大化したと考えています。

社会が発達した結果でなぜ、そうなるのか?についてですが、

恐らく、人間が知り合いや仲間と思える人数には限りがあるかだと思います。

本当に仲が良いと思える人間は、数人であり、知っている仲が良いと思える人は十数人~数十人。

それ以外は、並列なチームとしては機能せず、会社的な組織作りや宗教的な組織作り、学校や村、国家的な枠組みが必要であるという話です。

そして現在のSNS時代においては、更に拡張され、目の前の画面の奥には数億、数十億がいるわけです。

生存本能がそれらを無視するわけがありません。

それが、社会的な生き物としての幸福を増大させた原因であると考えます。

しかし、面白いのは、社会的な生き物としての幸福だけでは、人間は安定しない事です。

成功者なのに不眠、有名なのに孤独、金はあるのに虚無。こんな事は多々あるわけです。

ただ、逆もあります。

人間は、飯食って寝てればOKとも行かないのが現状です。

人間はこの二重構造の中で生きています。

すると現代での幸福とは、動物として無理がなく、社会的にも意味があり、自分の価値観とも一致している

というのが条件なのかもしれません。

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