皆様、おはようございます。
星見です。
今回は言霊についてやります。
言霊とは言霊(ことだま)とは、発した言葉には不思議な霊力が宿っており、その言葉通りに現実化するという日本古来の信仰・概念
だそうだ。しかし本当にそうだろうか。
良い言葉は良い現実を作り、悪い言葉は悪い現実を作る。
祝詞や真言などは、その最たるものであり、神様言葉なんてものも存在する。
心理的な良い影響なども否定できない。
ありがとうをよく言う人はなんかしあわせっぽいイメージがある。
ただ心理的影響に関しては、現実そのものを変える効果より、現実の見方を変える効果が大きいのではと思う。
これは、これで効果はあるので、決して無下にできることではない。
また、社会心理的な影響もあるだろう。
君は将来金持ちになる。よ!社長!。みんなのイメージを具現化する方法だ。
みんなが知っている、感じている共同幻想的イメージを使っていうやつだ。
あなたエマワトソンみたいだねと言われたら、何か意味があるに違いない。
そして、深層心理やスピリチュアル的な影響だ。
マントラや祝詞などがこの一種だと思うが、意識状態をも変えてしまうもので間違いはないだろう。
言葉が現実をつくると言われても、さほど気にもならないし、そんな気すらしてくる。
ここで一つ。
元来、言と事はさほど区別が無かったそうだ。
つまり、言霊は事霊としても、古代の言い方では間違いではないようである。
現に万葉集では「ことば」より「こと」が圧倒的に数が多いそうだ。
言葉とは、文字通り「ことのは」であり「は」とは端の事である。
つまり言葉とは事の端という意味も考えることが可能である。
事とは何か。
事とは事実のことである。
言霊が「言葉に力が宿る」だとすると、
事霊はむしろ、「出来事そのものに意味や意志が宿る」という感覚に近いのではないだろうか。
すぐに付喪神なんかを想像するに容易い。
これは、現実の出来事自体が、何かを物語っているという意味になるのではないだろうか。
非常に占いっぽい考え方である。
むしろユングのシンクロニシティ研究を後押しするかのような、梅花心易てきな発想だ。
古代では、飢饉や天候、日食などのそれらを全て「兆し」として捉えてきた。
現代人から見ると非合理にも見えるけど、実際には、人間は巨大な無意識的パターンの中で生きているという理解でもある。
あまりやりすぎると、おかしい事になると思うが、昨日こんなことがあった。
私は、人の迎えを待っていた。
いつ来るのかと、今この瞬間に兆しがあるはずだと梅花をつかった。
すると「井」がでた。これは井戸の卦だ。その瞬間に迎えの車がきた。おそらくこういうことだろう。
井でどうして迎えがくるのかは、易経を勉強していれば納得だ。
逆に、その日あまりにも欠ける卦が出たので、今日事故でも起こるかなと思っていたが、何も起きなかった。
私の読み間違いも当然あるが、これらはまさに事霊である。
欠ける方に着目してしまったが、その日は喜びが多い日だった。これも易を勉強している人であれば、理解は簡単だと思うが、なるほどと思わされる。
しかし言葉も間違っている訳ではない。
これはまだ現実化していない「事」の先端であるからである。
口は禍の元である。
言う必要のない事を言ってしまい、後悔した経験は誰にでもあるだろう。
まさに現実が発生する「芽」みたいなものだ。現実の入口である。
言と事に本来区別がないのであれば、言霊とは一体何のことであろう。
ちょっと長くなったので次回にします。