皆様、おはようございます。
星見です。
前回に引き続きですが、全部持ってるというのは一体どういう事でしょうか。
お金、家族、マイホーム、車、高価な物等々色々な事を物理的に何も持っていないのに、なぜすべて持っていると思えるのかについて話をしていこうと思います。
真に全て持っている事については、愛に近いものでこれはここでは説明できないので、真に自由になるためシリーズで解説していこうと思うのですが、今回は理屈的に説明していきます。
例えば、車についてですが、これは自分の生活を便利にするものですね。それ以外の付加価値というものは何があるでしょうか。自分が頑張ったご褒美かもしれません。カッコいいものなのかもしれません。お金を持ってるアピールになるものですね。
これらは、自分の生活に直結していない概念的な物です。
自分が沢山頑張ったと思わない人にとっては、ご褒美はいらないし、カッコいいに興味が無い人にはカッコいいを追求しないでしょう。みたいなことです。
自分の過不足を何かで補おうとすると、ハリボテみたいな人間になってしまします。
足るを知るってやつですね。
やがてハリボテを支えきれなくなり、何かが壊れ崩壊していきます。生活や精神にどんどん浸食します。
お金に対してもそうです。
お金はただの記号という事が分かってない人は執着してしまいます。また、お金が大事か大事ではないとか意味不明な二元論に直ぐにおちいります。
安心という解像度が高い人は、お金に執着しません。
生活に必要な必要最低限の価値以外は基本的に、自分の心の安定のために必要になってきます。
では、それが必要なかったら。
美に執着している人も沢山いますね。いつまで求めれば、アナタの心の過不足が解消されるでしょうか。
お金に執着してる人は、いつになれば、その安心は満足されるでしょうか。
私は、僧侶でもなんでもないので、捨てろなんて意味不明な事は言いませんし、その必要はないと思っています。
むしろ、全て持っている。それを得たあとにくる、安心感や感情などを既に持っていれば、良いのではないかというお話でした。