皆様、おはようございます。
星見です。
前回に引き続き、恋愛に関してです。
次の問題は「尽くしすぎ」です。
これは、束縛よりも厄介です。なぜなら見えずらいし、善っぽいからです。
しかし尽くしすぎについての結論は、「相手の反応や愛情を得るために、自分の行動を使ってコントロールしようとすること」にあります。
尽くしすぎといえば聞こえはいいですが、ようはコントロールしようとしていることに違いはありません。
健全な優しさは、相手が喜ぶから、自分がやりたいからなど見返りは前提にありません。
つまり、問題を自己完結しているのですね。
なので、別れた相手の事をとやかく言わないし、別に恋愛中のあいての事を悪く言ったりしません。
逆に尽くしすぎというのは
これだけやれば愛されるはず、嫌われたくないからやる、見返りを期待している(無意識でも)というやつです。
これは、愛では無くて取引です。
そして、尽くすという行為は、もっとややこしく依存構造になりやすいです。
もっと欲しい、もっと欲しいです。
結果利用されたり、束縛につながるような自由の侵害ができます。
ではなぜそこまで尽くすのか。
それはやはり愛される自身がないからです。
愛を得るための行動になっているのです。
こういうと愛が欲しいという事が悪い事のようの感じますが、そんなことはありません。
それは寧ろ人間にとって自然な事です。
しかし、それを前提条件にいれていまうと、よくない事になります。
- 愛してくれるなら一緒にいる
- 大事にしてくれるなら尽くす
- そうじゃないなら不安・怒り
相手の行動次第で自分が決まる。これは依存ですね。相手が基準の人生となっています。
という事は、前回の束縛と同じく、本来の問題に対しての解決方法を相手を使って、解決しようとしているに過ぎないわけです。