皆様、おはようございます。
星見です。
前回、人間の動物的幸福と社会的な生物としての幸福を分けて考えましたが、ではそれらをどうやって取り戻せば、人間はしあわせになれるでしょうか。
動物的な幸福を取り戻すのは、結構簡単です。
朝日を浴びて、運動をして、体温を下げない様にし、食事をし、友達とおしゃべりをして、安全な環境に身をおいて、静かな空間に身を置くことを保てばいいです。
かなり原始的なイメージですね。
簡単と言いましたが、多分簡単ではないのかもしれません。
ただこれには、社会的な生物としての幸福とは明らかに違う側面があります。
それは、満腹かんです。
朝日を浴びすぎると疲れるし、運動しずぎると疲れる。体温を上げ過ぎると汗がでるし、食事も満腹になります。友達と喋り過ぎると、当分良いかなって思うし、安全な環境に身を置きすぎると、チャレンジしたくなります。
その原始的な幸福は、与え続けると満たされ、幸せも鈍化していくものです。
逆に、社会的な幸福というのは際限がありません。
年収も、地位も、承認も、社会という比較構造の中に入ると終わりがありません。
これが現代が抱える問題となりやすい部分です。
つまり、社会的な幸福は満腹中枢を刺激するものが存在しにくいという問題です。
あまりにも抽象的すぎるのだと思います。
フォロワー10万人に到達すると、もっと上を目指します。当たり前といえば当たり前ですね。
満腹中枢自体が、動物的感覚に由来しているのであれば、動物的な幸福を満たしている人であれば、もう十分という感覚があるかもしれません。
足るを知るというやつです。それは、動物的感覚がしっかり機能していれば、社会的な幸福も味わえるという事です。
そう考えると、足るを知るというやつは、道徳的な問題なのではなく、人間の生理状態に近いのかもしれません。
本当は満腹なのに、脳だけが飢餓状態にあるのかも。なんて思います。
そしてこれらは、考えて分かっているのに起こります。
つまり、思考の結果ではありません。おそらく神経系の何かです。
どう幸福感を取り戻すかについては、とりあえず人間の動物的幸福を満たす事が先なのでは?と思います。
少なくとも人間の幸福を階層構造として見るなら、
- 動物的幸福=土台
- 社会的幸福=拡張
として理解できる部分がある。
つまり、
動物的幸福が崩れると、
社会的幸福があっても長期的には不安定化しやすい。
しかし逆に、
社会的幸福が少なくても、
動物的幸福が深く満たされている人は、
ある程度安定して生きられる。
という事なのではないでしょうか。
動物的基盤がOSで社会的基盤はアプリケーション的な考え方です。
であれば、幸福の最低条件として
神経系の安全 身体の安定 基本的なつながりなどが不可欠であり。これが無いと、人生の生存危機モードから抜けられない
そのうえで、拡張した社会的な幸福
承認、達成、自己実現、創造、社会貢献、尊敬、使命などがある
その拡張装置ばかり肥大化させていても、肝心のOSが育ってなければ、それに耐える事が出来ないという感じです。