死後について

皆様、おはようございます。

星見です。

人間は死後どうなるのかとお客様に聞かれてしまって、特に理由はないのですが、「愛そのもの」になるのではないかと言ってしまったので、その理由を考えました。

普段はそういう事についてあまり考えていないので、自分でもどしてそんな回答をしてしまったのかが分からず、またそれを聞いたお客様もわけわかんねーなコイツみたいな顔してたので、ちょっと考えて今度ブログにでも上げるので見といてくださいと伝えました。

時間が経ってしまいすみません。

さて、どうして自分でも「愛そのもの」になるなんて言ったのかについて色々考えてみました。

こういう感覚的なものを言葉にするのはとても難しいので、変な感じになってしまったらすみません。

とりあえず、死後の世界を表しているのは宗教に頼るのは一番かと思いますし、そういった世界観が好きな人はそれでいいのではと思いますが、私が死後について考えた時に、天国とか地獄とか言われるものは他の人に任せて、他のアプローチを考えていきたいと思います。

まず死後についてですが、死んだ後の事は分からないし、臨死体験を経験した人の言葉も、自分が経験してみた物ではないので、そんな感じなんだと思いつつも、体験していないので実感として分かりません。

怨念等など死後の恨みなどもありますが、分かる人にだけしか分からないので、私みたいな一般人にはよくわかりません。

そもそも、死後とは生命が終わった後の事を表し、死ねばゲームオーバーとして生前に手に入れた全ての物は意味がなくなります。

また、自分が持っている先入観や思考や考えも同時に意味がなくなります。

自分という名前も意味はないし、家柄とかなども意味を成しません。

時間とかいう概念も意味を成さないですね。

なぜ無くなると思うのかについてお答えすると、それは全て自分の物ではないからです。ちなみにこの肉体も自分の物ではありません。全て借り物なので、返すのがよろしいかと思います。

どうして現世であるものを死後持ち込めないかは、考えると色々難しいですね。そもそも死後なんてものは存在しないと考えれば容易いですが、そう言い切れるものではありません。旅行でいければいいのですが、なかなかそうは行けません。

死自体は、自分が見ている世界の終わりを意味しますが、その後には何も残らないのでしょうか。

お金や物は、勝手に手に入れて自分の物と主張している物であり、先入観や思考も勝手に他人から植え付けられたものであります。時間という概念もそうですね。体も名前も全て自分以外から与えられたものです。

勘の良い人は、私がたまに書いている真に自由になろうぜシリーズと良く内容が似ているなと思われるかもしれませんが、私もそのように思います。

なので、全て自分からそぎ落とした状態というものは、=死んでいるものと同然なのでは?とも考えることが出来そうです。

そして、唯一そぎ落とせないものこそ、生まれる瞬間に存在し、死後も存在し続けるものとして、魂と呼ばれているのではないかと思います。

では、魂と呼ばれるものは本当にあるのかと思いますよね。

私はあると感じています。

私の中にある何かなのですが、人によっては光なのかもしれないし、中心の無い円なのかもしれないし、自分に覆いかぶさる何かなのかもしれないし、神と呼ばれるものかもしれませんし、魂と呼ばれているものかもしれないし、霊魂と呼ばれているものかもしれませんし、圧倒的な安心感を与える存在なのかもしれないし、生暖かい何かなのかもしれないなどの物が感覚としてあります。

人がどういう感覚でその名前を付けたのか分かりませんが

私は、これを愛だと思っているんだと理解しました。

なので、これを持って生まれ、これを持って死ぬわけであります。

よってそれは愛そのもであると感じてしまったのだと思います。

どちらにしても、私の思っている愛とあなたの思っている愛は違うかもしれませんが、死後、愛そのものになるというのは、何とも良い感じがしますね。

つまり死後は八百万の愛になるのではという考察でした。

実はこれはまだまだ序章であるのか、さらに広大な世界があるのか、とにかく進んでいこうと思います。

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