天皇について②

皆様、おはようございます。

星見です。

前回天皇について、ちょっと書きましたが、私の感覚的な所については書かなかったので、改めて書きます。

感覚的な事なので、意味不明な所はあると思いますし、与太話的なので、あまり期待しないでください。

日本国憲法 第1条(現行憲法)

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く。」

まず、これです。

つまり、国民と国家を精神的につなぐ中心的な存在としておられるわけです。

天皇がおられない世界は、日本国ではないのです。

それは、現在も未来も過去もそうです。

そこには、ただ土地がいて、人がいるだけになります。

であれば、普段思考をなるべく止めようとか私は言ってるので、象徴なんかもただの思考ですよね。と言われる方もいらっしゃるかと思います。

象徴が思考である事は、まさしくそうなのですが、しかしそこに疑義を持つことも思考となります。

しかし、私が今回言いたい事は、思考の外についてです。

例えば、森があったとします。

その森を宅地開発すれば、森はもう戻りません。

森であった過去も、過去森で起こった出来事も、資料として残す以外は全て消え去ります。

そしてその資料は、ただの情報となり、森の中にいる感覚、五感への感覚などは全て消し去られます。情報以外で得られる全てのものは無くなります。

全て、頭の中だけの物となあれば、その感覚へのアクセス方法は限られてしまいます。

つまり、思考だけの世界になりえるのです。

数千年続いている儀式や宗教的な行いなども、やめるのは簡単ですが、そこで得られる感覚は失われます。

戦争も、過去の体験を知識として捉えていけば、あの凄惨な感覚もなくなり、知識だけで考えます。

地元と呼ばれる場所も、時間が過ぎれば、全く違う景色となりあの頃の感覚はありません。

そこで得られる感覚というのは、無形なものなので、すぐにお金に換えられるようなものではありません。

感覚というのは言語化がとても難しく、とても繊細なものです、そして感覚というのは頭の中だけではありません。

また、物事というのは変化していくものでもあります。

天皇という存在も時代によって、変化しているでしょう。

その変化を停止し、感覚を無くし、過去という思考の中だけのものにするのか。

変化を継続し、感覚を残し、現在という位置で共にあり続けるのか。

良し悪し、損と得、だけの思考に頼る事なく、心で感じてもらえればと思います。

そして、そこであえて思考的に考えるのであれば、天皇家がおおよそ2000年程の歴史だとしても、地球の歴史からすれば、ほぼ一瞬でありますが、我々の命という観点からすれば長いものです。

2000年という歳月から、我々が感じられるものと言えば、それはもう自然そのものであるわけですね。

樹齢数千年の木とかです。

歴史的に色々あったにせよ、その長い年月を紡いできた自然を壊すという行為は、よほどの事であると思います。

そして、自然という意味であるならば、人間は自然を自分の都合の良い用に作り変えてきた歴史を考え、象徴ではない他の意味を模索して行く方が、より人間的なのではないかと思います。

ちなみに、男系が良い悪いの話をすれば、それは木でいう中心の幹に当たるものであると考えます。

人間にとって自然が必要なくなった時、日本人にとって天皇が必要なくなった時

これがどういう意味を表すのでしょうか。頭で理屈を考えてもしょせんこの程度ですね。

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